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過去の自分の夢や憧れは、いつか違う形で叶うかも

「何かを『選ぶ』ことは、ほかの何かを『捨てる』ことだ」とはよく言うけれど。

大学生のとき、

「国連職員になりたい。そのためにまず、海外の大学院で開発学を学びたい。でも経済的に就職しないとムリだ」

と悩んでいたわたしに、

「いまその道を選べないからといって、完全に『捨てる』ことにはならない。
未来のお楽しみとして『残しておく』んだ、って考えてみるのもいいと思うよ」

と、言ってくれた人(当時ボランティアしていた国際NGOの職員さん)がいました。

そのときは少し心が軽くなったものの、

「でもやっぱり、一度選ばなかった道を進むことは、今後もないんだろうなぁ」

という、諦めの気持ちの方が正直大きかった。

その5年後、まったく別の目的で大学院留学することになるとは、つゆほども思いませんでした。

かつて諦めた夢が叶うこともある

さて先日、夫婦そろって少し遅めの夏休みを取って、屋久島へ旅行しました。

実はわたしは、10年前にも一度屋久島を訪れたことがあるのですが(人生初の一人旅でした)

そのときはスケジュールがタイトだったのと、自分の体力に自信がなかった(笑)ので、縄文杉を見に行くことは諦めました。

そのことがずっと心に引っかかっていて、

「いつか挑戦したいなぁ。でも、もう屋久島に行く機会はないかもしれないなぁ」と思っていたのですが、

10年ぶりの屋久島旅行では、念願叶って夫婦で縄文杉トレッキングに参加することができました!!!

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土砂降りのなか、往復10時間のトレッキングは修行のようでしたが(笑)、

10年前に諦めた夢が叶ったこと、しかも今回は、大切な夫と一緒に縄文杉とご対面できたことが本当に嬉しくて。

とてもとても、満たされた気持ちになりました。

***

この10年を振り返ってみると、縄文杉に限らず、「一度は諦めたけれど、あとになってご縁が巡ってきて、少し形を変えて夢が叶った」ことがたくさんあります。

● 最初にも書いたとおり、開発学分野での「大学院進学」を諦めて就職。そのあと、青少年育成の仕事に携わるなかで興味の方向性が変わり、シティズンシップ教育という別の専攻でイギリスの大学院に留学することになった

(高校1年生のとき、学校の短期留学プログラムでイギリスに行くはずが、世界的な感染症の流行で結局渡英できなかったので、そのリベンジになったとも言える)

● かつて漠然と憧れていた「国連」での仕事。職員になることはなかったけれど、渡英前の3ヶ月間、国連広報センターでインターンとして働く機会を得た

● 大学に入学したらやりたい!と思っていた「チア」。結局、練習頻度やチームの規模を考えて入部を諦めて、別のサークルに入ったけれど、30歳になる直前にチアのチームに所属することになった(いまも継続中)

● 中学と大学で少しだけ習った「手話」。いつか通訳士になりたい!と思うほど興味を持ったものの、卒業後はなかなか学習の機会がないまま8年が経った。自分の住んでいる地域の広報誌で通年講座のお知らせを見つけ、今年から毎週受講している

***

ほかにも、こういう商品があったらいいのになぁと思っていたものが売っているのを見つけたり、いつかお会いしたいなぁと思っていた人とお仕事でご一緒できたり。日常の小さなことから、大きな夢まで色々と。

「そうだ、これをいつかやりたいと思ってたんだよね!」ということが実現するたびに、昔の自分の夢や憧れを、今の自分が叶えてあげているようで嬉しくなるのです。

お楽しみはまだまだこれから

10~20代の頃のわたしは、

「いまここで選ばなかった道は、もう二度と自分の目の前に現れないんじゃないか」と怖くて、

自分の本音に蓋をしたり、周りが「間違いない」と言う道を無難に選んだりしてしまうことも結構ありました。

でもだんだんと、

「あのとき選べなかったもの、いま選べないことも、然るべきタイミングに、形を少し変えてチャンスが巡ってくることもあるから大丈夫」

と信じられるようになって、頭ではなく心が躍るものを選べるようになりました。
(最近、生きるのが本当にラクになりました笑)

努力でどうにかなることはとことん頑張るけれど、自分の力ではどうにもならない(神のみぞ知る!)こともあるから。

「いまその道を選べないからといって、完全に『捨てる』ことにはならない。
未来のお楽しみとして『残しておく』んだ、って考えてみるのもいいと思うよ」

というあの時の言葉どおり、これから先の人生に残されたわたしの「お楽しみ」は、まだまだたくさんありそう。どんな形で実現するかなぁ。ワクワク。

30歳になりました。「怖れ」を手放して「愛」に生きる♡

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憧れの!30歳になりました。

なぜだかよくわからないけれど、26歳になったあたりから「早く30歳になりたいなー」と思っていたので、うれしい。

20代最後の年は、結婚したということもあり、めまぐるしくも楽しく過ぎていきました。一方で、年末には個人的にショッキングなトラブルに見舞われ、つらい思いもしたため、「これから自分は、何を大切に生きていきたいんだろう」ということを深く考えさせられました。

癒しを求めるなかで出会ったのが、『怖れを手放す:アティテューディナル・ヒーリング入門ワークショップ』(Amazonリンクに飛びます)という本です。

これを読んで、わたしは決めた!!!

30歳(というか30代)のテーマは、「怖れを手放して、もっと自分の心の声を聴く」こと!!!

なぜかというと、10代~20代を振り返ると、わたしの行動は「怖れ」が原動力になっていたことが多く、「どこまで行っても満たされない」不安感でいっぱいだったなぁ、と思うからです。

楽しかったけど苦しかった20代

わたしがよく陥ってきた思考パターンとして、

● どんなに頑張っても、周りに評価されても「まだ足りない」と思ってしまう

● 他人の顔色を伺うくせに、厳しいことを言われると自分が否定されているような気がして、素直に聴けない

● 「嫌われたくない」という気持ちが強すぎて本音を言えず、自分だけ周りに馴染めていないような気がする

● 自分が好き・得意なことも「でももっとできる人いるし」と萎縮してしまい、堂々と言えない

● 自分がつらいときでも「でももっと大変な人いるし」「これは何かの罰かも」と考えて、抱えてしまう

● 周りでトラブルが起きたり、誰かの機嫌が悪いように見えると「わたしのせいかも」と思ってしまう

というものがあります。

あらためて言語化してみると、「生きづらいな」と自分でも思います(笑)。

でも、無意識のうちにわたしはこうした思考パターンに囚われ、それに自分で気づかず、「うまく行かないのはわたしがダメなせいだ」「じゃぁもっと頑張らなきゃ」という謎の悪循環に陥っていたのです(;;)つらい(;;)

もちろん、「自分は未熟だから、人より努力が必要だし、もっと経験を積まないといけない」という怖れが、わたしにたくさんの経験をさせたし、それによって成長した部分も大きいです。

(20代は、難民キャンプのボランティアや世界一周、イベント企画、Webマガジン運営、大学院留学、転職…など本当にたくさんのチャレンジをしたし、そのことは自分を褒めてあげたい!)

が、しかし。このままの思考パターンでは、苦しすぎる。抜け出したい。30代はもっと肩の力を抜いて過ごしたい。

そんなときに出会ったのが、前述の『怖れを手放す~』という本でした。

「愛」か、「怖れ」か

同書は、「アティテューディナル・ヒーリング(AH)」の入門書なのですが、AHでは次のような捉え方をします。

こころの姿勢には、「愛」か「怖れ」の2つしかない、と。

「怖れ」というのは、「自分のこころのあり方は外側の世界によって決められている」という信念からくるもの。

たとえば、完璧思考、「べき」思考、怒り、自責の念、罪悪感などが「怖れ」に入ります。

まさにわたしが囚われてきたものは、これだ。「怖れ」だ!

いつもどこかで、「他人のものさし」で自分の価値をジャッジしてしまっていたんだろうなぁ、と。。

すぐに思考を変えることは難しいけれど、30歳になるこのタイミングで、自分で自分を苦しめてしまっていたモノの正体に気付けて、よかった。

「怖れ」を手放して「愛」に生きる!

というわけで、当面の目標は「怖れを手放して、自分の心の声を聴く」こと。最近では、何かを選択するときに「これは本当にやりたいこと??それとも怖れから選んでる?」と自分に問いかけるようにしています。

そうそう、「自分がやりたいと思っていたけれどいろんな理由をつけて諦めていたこと」を一つひとつ潰していこうと思って、20代のうちにやらなくて唯一後悔していた「チア」を始めました!

わたし、小さい頃から踊るのが本当に好きだったのに、「うまい人はほかにもたくさんいるし、特技って言えるほどでもないよなぁ…」と大人になってからはちょっと遠慮してたのですが(いったい誰に?笑)、思いきって再開してみたら、本当に楽しい。毎週部活のように練習しています♪

ほかにもまだまだ、やりたいこといっぱい。
「~べき(should)」ではなく「~したい(want)」の気持ちをもっと大切にして、20代よりもさらにハッピーな30代を過ごしたいと思います!

念願の…♥エシカルジュエリー@EARTHRISE

 
約2ヶ月ぶりのエントリで急なご報告ですが、先日、入籍しました。
お仕事や、このブログは旧姓のまま続けるつもりです。
今後ともどうぞよろしくお願いいたします!
 
さて今回は、婚約にあたり作っていただいたエンゲージメントリングについて。
 
わたしは以前、フェアトレード商品などを取り上げるエシカルWebマガジン「Huglobe!」を運営していて、
 
それを知っていた彼が「好きなブランドさんがあれば、そこで指輪を作ってもらおうか」と言ってくれたので、取材で何度かお世話になっていたEARTHRISE(アースライズ)さんでお願いすることに!
 
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*EARTHRISEは、代表の小幡星子さん(写真左)が立ち上げた、人・社会・環境に配慮されたエシカルジュエリーブランド。
 
ダイヤモンドなどの宝石の採掘やジュエリーの制作過程には、紛争や児童労働、搾取、環境破壊…といった負の側面がつきまといがちなのですが…、
 
星子さんは発展途上国の小規模コミュニティーと協力し合い、公正な価格で取引されたフェアトレードの素材を仕入れたり、技術支援をしたりすることで、世界中の職人さんたちとともにエシカル(倫理的)なジュエリーを作っていらっしゃいます*
 
作っていただいたリングは、こちら(わたしの手のアップですみません…)。
 
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♥ダイヤモンド:オーストラリア産(フェアトレード)
♥イエローゴールド:ペルー産(フェアトレード)
♥研磨:インドの工場にて
♥デザイン:きらめき -螺旋-
 
宝石の採掘や制作現場に直接足を運んでいる星子さんから詳しいお話を伺いながら、素材やデザインを選ばせていただけて、とても楽しかったです!
 
トレーサビリティ(宝石がどのように採掘され、取引されたか遡れること)や環境への配慮などがきちんと確保されていますよ、ということを示す保証書もいただきました。
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星子さん(そして職人の皆さん)、GWにパキスタン出張を控えて超多忙な中、素敵なジュエリーを作ってくださり、ありがとうございました!マリッジリングの仕上がりも、心待ちにしています^^
 
エンゲージメントリングやマリッジリングは、婚約・結婚という人生の佳き節目からずっと身につけるもの。
そこで使われる宝石や、制作に携わる人々、環境などにできるだけ配慮されたものを…と思う人には、エシカルジュエリーがおすすめです。
 
このブログエントリはPR記事でも何でもないのですが、ご興味ある方のためにSNSアカウントなどを載せておきます!ぜひチェックしてみてくださいね~。
 
<EARTHRISE(アースライズ)>
♥Webサイト:http://www.earthrise-j.com/index.html
♥Facebook:https://www.facebook.com/earthrise.jewelry
♥Instagram:https://www.instagram.com/earthrise_j/
 

【2017/03/19】第4回シティズンシップ教育ミーティングに登壇させていただきました

日本シティズンシップ教育フォーラム(J-CEF)主催「第4回シティズンシップ教育ミーティング」の分化会にて、発表の機会をいただきました。

「グローバル化とシティズンシップ教育」というテーマの分科会に話題提供者の1人としてご招待いただき、「グローバル化する社会で求められる『社会的包摂』の視点」と題してプレゼンさせていただきました。

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(写真提供:J-CEF)

わたしの発表のアジェンダ:
● イングランドのシティズンシップ教育
● 教育現場での模索と葛藤
● 英国的価値観(British Values)の促進
● 国家の統制 vs 多様性の尊重
● シティズンシップ教育に必要な視点
● 日本における今後の課題

テロの脅威や人的移動の活発化により強まるナショナリズム志向や、シティズンシップという概念自体がはらむ「社会的排除(social exclusion)」のリスクを踏まえたうえで、グローバル社会においてどうシティズンシップ教育を進めていくか?というわたし自身の問題意識を共有させていただきました。

J-CEF事務局の皆さま、分科会のコーディネーターを務めてくださった京都教育大学の水山光春教授、話題提供者としてご一緒させていただいた一般社団法人シェア・ザ・プラネット代表理事の筒井哲朗様、東京大学教育学部4年生のハンガメン様、そして分科会にご参加いただき、貴重なご意見・ご質問をいただきました参加者の皆さまに深く感謝申し上げます。

『産む、産まない、産めない』の背景にある女性の意思と選択。

甘糟りり子さんの『産む、産まない、産めない』を読みました。
 
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これを読んで思ったことは、
”can / cannot”(できる/できない)
だけじゃなく、
”will / will not”(する/しない)
という多様な「意志」が尊重されるって大切だなぁ(でもなかなかされにくいなぁ)ということ。
 
幸せの形は人それぞれで、正解なんてないはずなのだけど、結婚・妊娠・出産に関しては特に、「こうするのが自然(当たり前)」という無言の押し付けが生まれがちな気がする。
 
結婚や出産をした人が「素晴らしい経験だった」と感じていたとしても、「したいけれど、できない(cannot)」とか「できるけれど、しない(will not)」という選択をした人が”人生損してる”わけではないし、
 
「経験している人がエラくて、経験していない人は半人前」みたいな考え方も、なんか違う。
 
(帝王切開でお子さんを産んだ知人が、「お産の痛みを経験していないなんて母親失格」と、自然分娩で出産した人に言われたことがある、と話していたけれど、わたしはそれを聞いてびっくりした!)
 
自分が生きられる人生はひとつきりで、選べる道には限りがあるのは当然だもの。だから悩むんだもの。女性も男性も。
 
人の数だけ葛藤があって、選択と決断があって、そこには意志があるということ、ちゃんと忘れずに尊重できる自分でありたいなぁ、と思わずにはいられない1冊でした。
 

「J-CEF NEWS」第12号・特集記事に寄稿させていただきました

日本シチズンシップ教育フォーラム(J-CEF)の機関誌「J-CEF NEWS」第12号(2017年2月発行)に寄稿をさせていただきました。

 
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特集記事「シティズンシップ教育をすすめる上で何を大切にするべきか?」への寄稿のご依頼をいただき、「『社会的包摂』の視点を持って多様な価値観に触れる場づくりを」というタイトルで、見開き2ページで記事を掲載していただいております。

主に、
● ヨーロッパ諸国における「多様性の尊重」と「社会的対立」のバランスの模索
● 2014年の英国の教育省による「英国的価値観の促進」の通達と教育現場の混乱
● 「違いによって生まれる排除」を学ぶワークショップ事例
● 「社会的包摂」という視点を持ったシティズンシップ教育推進の必要性
といった内容について書かせていただきました。

同機関誌で新連載「ヨーロッパの動きから考える」をお持ちの両角達平さんも、同号についてBLOGOSで触れていらっしゃいましたので、リンクを貼らせていただきます。
働きすぎな教員をみて育っているのは誰か?

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なお、「J-CEF NEWS」は、日本シチズンシップ教育フォーラム(J-CEF)の会員になると読むことができます。

市民の社会参加やシティズンシップ教育といったテーマにご関心のある方は、ぜひ入会を検討してみてくださいね。
入会案内 | J-CEF日本シティズンシップ教育フォーラム