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自分の正義がいつも「正しい」とは限らない

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photo via minus.com

 
先日、「人間関係って難しいなぁ」と少し凹んだことがありました。せっかくなので、そこから学んだことを(リハビリも兼ねて笑)ブログに書いておこうと思います。
 
最も痛感したのは、正義がいつも「正しい」わけではないということ。
日本語としてはおかしく聞こえるかもしれないけれど、2つの意味でそう思うのです。
 
まず、わたしが「正しい」と思うことは、あくまでもその時の状況や価値観においてそうである、というだけで、
ほかの人にとっても同じだけの「正しさ」であるとは限らないんですよね。
人それぞれの「正義」があったりするので、「世間一般的な正しさ」というのを決めるのは難しい。
(明文化されたルールがない領域だと、特に。倫理観とも関わってくる部分もありますし。)
 
そして、ネガティブな感情に支配されている人は、そもそも正論を求めていないことが多い
「自分はこんなに大変な思いをしている、誰にもこの苦労はわからない」みたいなことを吐き出す場合、その人が一番欲しいのは「ツライね、良く頑張ってるね」といった同情や共感。
超ポジティブなアドバイスだとか「その言い方はないんじゃない?」といった(一見、正しそうな)批判なんて受け入れられる状態ではないんですよね。そんなことを言おうものなら、猛反撃されるのがオチ。。
正論だからといって、常にまかり通るわけではありません。
 
特にFacebookなどのSNSは、あくまでも「承認欲求」を満たす場なので、その傾向が顕著ではないでしょうか。
大前提として、「いいね!」をもらえるような投稿をしているわけなので、たとえそれが自分にとっての「正しさ」に反していたとしても、特にコメントせずにスルーするのが懸命な選択。
不快になることが続くなら、そっと「非表示」にするしかなさそうです(申し訳ないけれど、わたしはあまりに耐えられない時はそうしています。目に入らなければ、イヤな思いをしなくて済むので。)
 
SNSならではの面倒臭さもあるとは思いますが、「自分にとって正しいことが、いつでもまかり通るわけではない」という当たり前のことを、日常生活でも忘れちゃダメだなぁ(さもなければケガするなぁ笑)、とあらためて思ったのでした。
 
そんな一件があった後、瀬尾まいこさんの『図書館の神様』という小説を読んでいたら、まさに!な言葉に出会いました。
 
〝きっぱりさっぱりするのは楽じゃん。そうしてれば正しいって思えるし、実際間違いを起こさない。
だけどさ、正しいことが全てじゃないし、姉ちゃんが正しいって思うことが、いつも世の中の正しさと一致するわけでもないからね〟

 
これは、「正しくあることに一番重きをおいて、まじめにまっすぐ」生きてきた主人公に、弟が掛けた言葉。
そうなんだよなぁ、「正しいことは正しい」とも限らないんだよなぁ、と頷いてしまいました。
 
誰かの言葉や態度にムッとしてしまうのは、自分の中の「正しさ」に反している(自分の思い通りにならない)のが許せないだけであって、「相手が間違っているから正してやらねば」という考えは傲慢なのかもしれません。
 
もちろん、自分なりの「正義」みたいなものはある程度持っていないと、あらゆる決断ができなくなってしまいますが、「正しいことがいつも正しいわけではない」ということも心に留めつつ、相手の価値観と擦り合わせる努力も怠ってはいけないなぁ、と反省したのでした。