swimmy

ちびうさ、5歳の思い出。

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わたしは子どもの頃、とにかく人の前に出るのが苦手でした。
幼稚園のお遊戯会になると必ず自家中毒を起こして発熱、バレエの発表会前は腹痛と吐き気で顔が真っ青、舞台に立てば振り付けを忘れる…。
 
だからこの年末年始、実家に帰省して『この間、高校に呼ばれて150人の前で講演したよ』と何気なく話したら、『あの実央が!』と両親に驚かれました。
 
今の私は、人前で話すことに抵抗がないので忘れていたけれど、どうして克服できたんだっけ?と母と話していたら、懐かしいエピソードが出てきて。もう20年も前のことなのに、急に細部まで記憶が蘇ってきたので書き残してみます。
 
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あれは、5歳の時に無理やり受けさせられた、セーラームーンのミュージカルの「ちびうさ役」オーディション。当時読んでいたマンガ雑誌の告知を見て、母が申し込んだそう。
書類審査が通ったという電話でそのことを初めて知らされた私は、イヤだイヤだと泣きわめいたのを今でも覚えています。
 
母に連れられて行った2次審査で、なぜか見知らぬ大人たちの前で「ムーンライト伝説」のワンフレーズを歌わされるわたし。カラオケは大好きだったけれど、家族の前で歌うのとはワケが違う!
でもたしか、『歌う前にきちんとお辞儀するんだよ』という母の言葉に従って、すっと顔を上げたら気持ちが落ち着いたんだっけ。
 
手応えなんてものはなかったけれど、なぜか合格。受かってうれしいという気持ちはなかったような気がするけれど、合格発表で自分の名前が呼ばれて別室に呼ばれたのは、特別扱いみたいでちょっと良い気分でした。
 
3次は東京の最終審査だったらしく、残っていたのはたったの5人(しかもわたし以外は、全員どこかの劇団に入ってる子たち)。
今回はどこかのホールが会場で、一般参加者が大勢見ている中、歌を歌ってミュージカルの台詞を言う、という審査。ダンスをその場で覚えて踊らされた気もする…。
 
本番に弱いわたしにとっては、台詞がどうとかの前に、舞台の上に立つだけで命懸けなわけだけど、この日はウキウキしていて、何でもやれる気がしていました。なぜなら、大好きな「ちびうさ」の衣装を着せてもらえる、と直前に知らされたから。
 
髪の毛をツインテールに結ってもらい、かわいい衣装を着て舞台に立ったわたしは、何だか自分がすごくかわいくなったような気がして、あまり緊張せずに台詞を言えました。
結果的に全国審査に進んだのは別の子だったのだけど、「ちびうさ」になれただけで大満足。この日の経験は幼かったわたしに小さな自信を付けてくれたのでした。
 
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もちろん、この一度きりの出来事で急にアガリ症が治ったわけではないけれど、この後も少しずつ「あ、わたし大丈夫かもしれない」という成功体験を重ねて、いつしか自家中毒は起こさなくなっていました。
 
きっと5歳のわたしを見ていた両親には、小学校の発表会で「スイミー」を演じる7歳のわたしや、
開校式で代表の挨拶をする11歳のわたし、
バトン部のキャプテンとして文化祭の舞台で踊る16歳のわたし、
国際会議でプレゼンする23歳のわたし、高校で講演する25歳のわたしの姿なんて想像がつかなかったと思います。
 
いまわたしが「得意」だと思っていることは、もちろん自分で挑戦してできるようになったものもあるけれど、両親がこっそり種を蒔いてくれていたおかげかもしれないなぁ。感謝、感謝。