2015newyear

2014年、多くの変化から学んだ5つのこと。

 
あっという間に2014年最後の日になってしまいました!休暇を利用してロンドンに遊びに来ていて、ここで友人たちと年越しを迎えようとしています。紅白歌合戦も年越しそばもない大晦日なんて、人生で初めてかも。
 
今年は、本当にいろんなことがありました。
3月末に、新卒で4年間働いた赤十字を退職し、
4~6月は国連広報センターでインターンとしてお世話になり、
7月からイギリス・ヨークでの留学生活がスタートしました。
 
こっちに来てすぐ、大泣きして大学のスタッフを困惑させたこともあったけれど、
8週間のプリセッショナルが終わり、修士課程に入る頃にはだいぶ生活も落ち着き、アルバイトを始める余裕も出てきました
秋学期の10週間はとにかく勉強・勉強・勉強!という毎日でしたが、たまには息抜きで友人たちと出かけたり、学内外のイベントに参加したり、楽しく過ごすことができました!
 
・・・とザッと振り返ると、スムーズに進んだ1年に聞こえてしまいますが、実際はそんなはずもなく、理想と現実の狭間で焦燥感に駆られることもあれば、急にプツッと集中力が切れてヤル気がなくなることもありました。
でも、変化に富んだ1年を過ごす中で、学んだこと、腑に落ちたこともたくさんあったので、来年に繋げるために綴ってみたいと思います。
 
2015newyear
photo by etsy.com
 
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■心と体の健康はつながっている
 
至極当たり前のことなのですが、ヨークに来てから実感したことのひとつが「心のストレスから解放されると体も健康になる」ということ。日本で働いていた時、もちろん仕事も職場の方々のことも大好きだったのですが、毎日の電車通勤、繁忙期の深夜残業、働きながらの留学準備、退職に関わる話し合い・・・などなど小さなストレスが積み重なり、肌荒れや肩こり、喘息の発症など体はあまり健康とは言えない状態がずっと続いていて、それによってまた気持ちが落ち込む・・・という悪循環を断ち切れずにいました。
 
大学院での勉強もそれなりにタフではあるものの、のどかなヨークでスローライフを送る中で、肌や体の調子がどんどん良くなってきました。キャンパスの中にある学生寮に住んでいるので満員の通勤電車とも無縁だし、毎日スニーカーを履いているので、ヒール靴にぎゅうぎゅう押し込められていた足の痛みもなくなり、それなりに規則正しい生活を送っています(日本にいた時は、疲れがたまりすぎて土曜日の朝にちゃんと起きられなかった)。クラスメイトが「読まなきゃいけない文献が多いし、勉強が忙しすぎてツライ・・・」と良く愚痴をこぼしたりしていますが、東京でのOL生活に比べたら大したことないよー、と心の中で思っています(笑)。
 
 
■まずはきちんと主張する。ダメなら気持ちを切り替える
 
大学院への出願の時点から薄々気付いてはいましたが、イギリス(もしくはヨーク?)は手続きが進むのが遅いwです。一度リクエストしただけでは何も返事がなかったり、「確認してみるね」と言われたあと何も音沙汰がなかったり。大学のスタッフも、店員も、自分たちの最低限の職務範囲を超えて何かをしてくれることはないので、本当に必要であればしつこく念押しするぐらいがちょうどいいです。
 
わたしは元々、「また文句言ったら迷惑かな・・・」とか、「うるさい客だと思われたらイヤだな・・・」とか考えがちだったのですが、主張する・されるのが当たり前だから、それで嫌われることはない、と学んでからは開き直って交渉をしています。でも、ただクレームを入れるだけでは効果がないので、いくつか気を付けていることがあります。
 
・要求の内容を最初に明確に伝える(困っている理由を長々言う前に)
・可能であれば、相手が譲歩しやすいように代替案を提示する
・強く主張はしつつ、できるだけ丁寧な言葉で締めくくる(対面であれば笑顔)
・リクエストを受けて相手が対応してくれたら、最大限の感謝の気持ちを伝える
 
たとえば、春学期のモジュール(授業)をオンラインで選ぶときに、早い者勝ちシステムだったのですが、予約開始の日時がたまたま自分が講義を受ける時間と重なってしまっているという問題がありました。わたしはどうしても選択したいモジュールがあったのに、それだと予約する前に席が埋まってしまう可能性があり、不公平だと思ったので、「予約開始日時をズラすか、もしくはメールで事前に選択したいモジュールを受け付けるなど、全ての学生に平等にチャンスが与えてください」と大学のスタッフにメールでリクエスト。大学側は一部の学生の講義時間と重なっていることに気付いていなかったらしく、その後「予約開始を1時間早めます」という変更アナウンスを全員にしてくれました。
 
とは言え、リクエストが通らなくて理不尽だ!と思うこともしばしば。そういう場合はもうどうしようもないので、諦めて気持ちを切り替えるしかないです(笑)。主張しないといけない場面ばかりなので、いちいち引きずっていたら生きていけない!
 
 
楽しむためにはそれなりの努力が必要
 
在籍しているヨーク大学の修士課程(教育学部・グローバル市民教育専攻)は、いつか勉強したいと思っていた場所であり、今でも選んでよかったと思っているコースなのですが、一つだけ残念だなぁと思っていることがあります。それは、「学生の8割が中国人」ということ。将来中国で英語の先生になりたい、という学生が多いようで、授業によっては私以外全員中国人、ということもあったりします。
 
彼女たちとは仲良くやっていますし、中国に対して嫌悪感があるという意味ではないのですが、「せっかくイギリスに来たのに中国人ばっかり・・・」という気持ちが、正直拭いきれません。渡英する前は「もし自分の英語力が足りなくて、ハイレベルな授業についていけなかったらどうしよう」という不安や、「でもそういう環境で鍛えられたい!」という期待があったのですが、蓋を開けてみたら、授業を受けるうえではほとんど苦労していません。むしろ、わたしがリードを取ることが多いので、物足りないなぁと感じることもしばしば。もちろん、勉強の内容そのものは奥が深く、まだまだ学ばなければいけないことがあるのですが、環境面ではあまり恵まれているとは言いがたい状況。
 
このジレンマ、夏に受けていたプリセッショナルコースでも感じていて、「楽しくないと感じるなら、不満をもらすよりもその状況を自分で変えるしかない」と気付いたので、今はできるだけ授業以外でも勉強会に参加したり、自分以外の全員がネイティヴスピーカーというカフェで働いたりと、付き合う人や所属するコミュニティを意識的に選び取るようにしています。それでもまだまだ物足りない(変な言い方ですが、もっと苦労する環境に身を置きたい)ので、春学期はより自分の興味に近いオフィスでインターンをしたり、より洗練されたスピーキングを学べるクラスを取りたいと考えています。
 
それなりのコストをかけて真剣にやっていることだからこそ、心から楽しみたい。でもその環境が最初から与えられていることは稀で、「なんか違うな」と感じたときに不平を言ったり、まぁこんなもんでいいかなと妥協することは簡単だけれど、自分の気持ちに嘘はつけないから、本当に楽しみたいなら環境自体を変えるしかない。留学に限らず、人生を楽しんでいる人って、傍目には気楽に見えたりするけれど、実は「楽しむための努力」をしているんだと思います。
 
 
■自分の問題と他人の問題を切り離して考える
 
同じ大学院に留学している学生とは言え、それぞれのモチベーションや熱意はバラバラ。そこまで勉強したかったわけじゃなかったけど、親に強く勧められたら来た、という子や、親が全てのお金を出してくれるから週末や休暇はとにかく旅行三昧、という子もいます。わたしは大好きだった職場を悩んで悩んで辞めて、自分の貯金全てをつぎ込んで留学していて、精神的にも経済的にも結構切羽詰まっているので、「修士号が取れるならそんなに成績は良くなくてもいい」みたいな考えの学生を見ると、この世の中はなんて不公平なんだ!と苛立つことも少なくないです(笑)。でも、他の人がどんな風に生きていようが、それはわたしの人生には関係ないことなんですよね。そういう人と一緒にいることが自分にとってプラスに働かないのであれば、前の項目でも書いたとおり、付き合う相手を変えるしかない。異なるバックグラウンドを持つ人たちと理解し合おうとすることはもちろん大切ですが、納得のいく結果を得るためには、「わたしはわたし、他人は他人」という意識も強く持つ必要があるようです。
 
また、日本にいる友人たちの近況報告をFacebookなどで見て、何となく焦ってしまいそうになることも。学生時代の友達の結婚とか出産は「おめでたいなぁ^^」と思うだけなのですが、自分が日本にいたときに一緒に活動していた同年代の人たちが起業したり、新しく事業を始めたり、イベントを成功させたりキャリアを積んでいるのを見ると、置いてきぼりをくらっているような気がしてしまうんですよね。みんな働き盛りなのに、わたし仕事辞めてまた学生やってて大丈夫なのか?と。もちろん、将来のこともいろいろ考えたうえでの決断なので、結局は「今はこれでいいんだ、焦る必要ない」という結論に落ち着くのですが、「今」という一点だけ見てしまうと遅れを取っているように見えてしまう。この一瞬一瞬を生きつつも、そこだけではなく、もっと遠くにある自分の姿も想像しながら、マイペースにやっていきたいと思います!
 
 
■選択の本当の意味は、後になってわかる
 
わたしのモットーというか、常に自分に言い聞かせていることは、以前ブログにも書いたとおり『正しい道を選ぶのではなく、選んだ道を正解にしていくこと』なのですが、イギリスに留学して大学院で勉強するようになってから、「あの時の選択は、ここに来るためだったのかもしれないなぁ」と思うことが本当に多く、それが前に進む勇気に繋がっています。
 
秋学期は「シティズンシップ教育(市民教育)」の基本的な概念や「教育を通じた社会正義の実現」などについて学んだのですが、その中で自分が教育を通じて追求していきたいのは「人権(Human rights)の尊重」なんだなと再確認できました(詳しくは別記事に書きたいと思っています)。大学生の時に、Save the ChildrenというNGOでユースボランティアをしていたときには「子どもに関わる活動がしたいな」程度の気持ちから入り、子どもの権利条約の啓発プロジェクトなどに携わることになったのですが、その出会いには意味があったんだなとあらためて思えたり。
 
また、小さいころからずーっと培われてきた勉強に対する姿勢も、今になって大きな助けになっています。わたしは昔から勉強が大好きで、受験勉強も全然苦にならないタイプだったのですが、塾講師のアルバイトをしていたときに生徒から「大人になってこの知識を全部使うわけじゃないのに、何でこんなにたくさん勉強しなきゃいけないの?」と聞かれた時にうまく答えられませんでした(わたしにとって、ただ楽しいから勉強していただけで、そこには理由は必要なかったので)。
 
でも、学校を卒業して、働いて、26歳で大学院生になった今、「学生時代の勉強って、その内容そのものが大切というよりも、本当に心から勉強したいことが見つかったときに、粘り強く勉強するための下地作りだったのかも」と思うようになりました。大学院では、特に課題提出の前は何十冊も文献を読み、10時間以上もパソコンに向かわないといけないので、もともと勉強の習慣がないと、結構キツイと思います。長時間勉強することに慣れているわたしですら、じっと座ってエッセイ(レポート)を書き続けことに疲れることもあるので・・・。でも、基本的には「ひたすら勉強し続けるこの感じ、懐かしいな~」ぐらいの気持ちで楽しくやれているのは、学生時代にクセを付けておいたおかげだな、と子どもの頃の自分(と、超厳しく勉強させてくれた両親)に感謝しています。あの努力は無駄じゃなかった!だからきっと、今の大学院での勉強も、いつかちゃんと役立つことがあるから焦らなくて大丈夫、と思うようにしています。
 
 
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2014年をちょっと振り返ろうと思っていただけだったのに、気付けばたくさん書いてしまいました・・・。それだけ、自分と向き合うことが多く、気持ちを整理する時間が必要だったということですね(文章にするとそういうことがわかるから面白いです^^)。
来年も、引き続き「変化」を楽しむ1年にしたいと思います。皆さんも良いお年をお迎えください♪