├出会い・想い・学び

「3.11」から4年。「赤十字職員」ではなくてもできること。

 
昨年の3月末に赤十字を退職してから、はじめて迎えた3月11日。
今年は、これまでの「3.11」とは少し違う想いで過ごした一日でした。
 
赤十字職員ではなくなった今、被災地に職務として行くことはありません。そういった「直接的な」支援に比べたら、成果がすぐ見えにくい教育のフィールドでできることは「遠回り」すぎるんじゃないか。そう感じてしまうこともありました。
 
でも、防災や災害救護といった活動も、わたしが研究しているグローバル教育やシティズンシップ教育といったアカデミック(学術的)な視点も、持続可能な社会を作っていくためにはどちらも必要なことだと、最近やっと、自信を持って言えるようになりました。
 
work_tohoku
☆震災後、宮城に派遣された時の写真。あれからもう、まだ、4年。
 
*****
 
この世界は、本当に複雑にできていて、異なる立場の人たちがそれぞれの目的、思惑、理念を持って動いています。どれが正解だと言うのはむずかしい。
 
教育のアプローチひとつを取っても、学者全員が納得する答えはなく、それぞれのやり方に優れている部分、足りない部分が必ずあるのだ、ということが、最近になって良く見えるようになりました。ヨーロッパの教育は、日本では良い面ばかりクローズアップされがちですが、パーフェクトな方法なんて何ひとつないし、(学術的には)定義が曖昧なことも多いし、すべてが発展の途中だと感じます。
 
全てを理解しようとすると、頭の中がこんがらがって迷子になりかけるけれど、わたしは赤十字(だけでなく、その他複数の組織)で培った経験、そこで抱いた問題意識が根底にあるので、それらをアカデミックな視点で捉え直すことで、自分の立場がクリアになってきているのを感じます(特にここ1~2ヶ月)。
 
まだまだ学びたいこと、学ぶべきことはたくさんありますが、「シティズンシップ教育」という一つのレンズを通して、教育に対する自分の問題意識や、進んでいきたい方向などが、少しずつ頭の中で整理されてきました。今は、それを寄稿記事やエッセイ(レポート)、修士論文の形でまとめるべく、奮闘中です。ブログでも、引き続き発信していくつもりです。
 
*****
 
2011年3月11日に起きた東日本大震災から、4年。
悲しいことだけど、災害がこの世界からなくなることは、おそらくないだろうと思います。
 
それを前提に、ただ「忘れない」と言うだけではなく、過去の教訓をどう未来に繋げるか。
教育のフィールドで、何を伝え、持続可能な社会にどう貢献できるのか。
 
5年目に突入した今、その問いと問題意識を常に持ちながら、残りの大学院生活もじっくり腰を据えて研究に励んでいきます。
 

世紀の大発見よりも、一歩踏み出すきっかけを生み出したい

 
わたしが大学生のときに塾で教えていた生徒さんから、こんなメッセージをもらいました。
 
「もっと楽できる人生だったかもしれないのに、齋藤先生と出逢ってしまったせいで(笑)、
何度も何度も流されそうになりつつも、わたしは自分が本当にやりたいことを選ぼうとしてしまうんです」
 
当時 進学校に通う中学生だった彼女にとって、
「ネームバリューよりも、自分が勉強したいことができる大学を選んだ」
というわたしの言葉が衝撃的だったんだとか。
 
もう今では大学生になった彼女からのメッセージを読み返して、
 
その言葉を発した20代前半の自分に恥じない生き方をしたいし、
これからは考えや言葉だけでなく、行動で示していけるようコツコツやっていこう
 
と改めて思いました。
 
baby's breath
 
いわゆる優等生で、
いつも周りの期待に応えることに一生懸命。
内に秘めた熱い想いがあるのに頭で考えてしまうから、
なかなか行動に移せない。
本当は不器用なのに、器用に生きてしまった自分の殻を
今さらどう破ればいいのかわからない。
 
そんな人たちが
「自分も一歩踏み出してみたら何か変わるかも」
と思えるような、小さなロールモデルになりたいな。
 
わたしも昔は「石橋を叩いて壊して、結局渡れない」
ことばかりだったけど、
今は(ちょっとビクビクしながら)吊り橋を渡る勇気が出てきました。
足がすくむこともあるけれど、ね。
 
立派な企業を興したり
世界中で使われる画期的なサービスを生み出したり
歴史を変えるような発見・発明をしたり
 
そういう大それたことはできる気がしないけれど、
(やってのける人はすごいなと思うけれど)
 
わたしはわたしの道を行くことで、
一瞬でも人生が交差した誰かにとって
何かの勇気に繋がるような小さなきっかけ
を創れる人になりたいです。
 
そして一人ひとりの行動が少しずつ少しずつ
社会を動かしていくと信じているから。
 
さぁ、今日も自分にできる最大限のことを!
 
[Photo via praisewedding.com]

理想論だと言われても教育者として追求したいこと

 
フランスの風刺週刊誌「シャルリ・エブド」本社の襲撃事件。
 
シリアで起きた、イスラム過激派組織「イスラム国(IS)」による日本人の人質殺害事件。
 
今わたしはイギリスにいて、日本・海外メディアの報道やネット上での様々な反応を毎日目にしていて、心がいつもザワザワしています。
 
どこまでが「表現の自由」なのかとか、
「自己責任」がどうとか、
いろいろ意見は飛び交っている中で、
物事の「本質」はどこにあるのだろう
とわたしなりに考えて、わからなくなって、でも思考停止に陥りたくないからまた考えて。
 
個別の事件について(そしてこれらの報道やゴシップの陰に隠れてしまっているけれど世界のあちこちで進行中の問題について)思うところはもちろんあるのですが、このブログでは、イギリスで市民教育(シティズンシップ教育)を研究する学生・教育者としての想いを書こうと思います。
 
***
 
池上彰さんの日経新聞コラム(こちらの記事:「後藤さんの志を継ぐために」)に、こんなことが書いてありました。
 

こうした悲劇を防ぐには、どうすればいいのか。即効薬はありませんが、いまこそ求められるのは歴史観ではないのか。人間の愚かさと知恵の詰まった歴史を学ぶ中から、次の悲劇を防止する仕組みを構想する。

 
歴史を学ぶ目的は、試験のために年号や単語を暗記することじゃない。変えられない過去の教訓を現在に生かし、持続可能な未来に繋げることなのだと、わたしも考えています。
 
でも、それを子どもたちに教えられる大人は、教師は、どれだけいるだろう?
わたしは、いま世界で起きていることの「本質」をどのぐらい理解しているだろう?
 
***
 
「もっと学びたい」と思ってイギリスの大学院に来たけれど、学べば学ぶほど、まだまだ自分がわかっていないこと、深く知らなければいけないことがたくさんあると気付かされます。
わたしの専門は教育だけど、歴史も、政治も、法律も、経済も、ぜんぶ繋がっていて、果てしない。社会というのは、そんなにシンプルにできていないから。
 
だからこそ、学生時代にバラバラの科目ー国語、歴史、公民、生物などーで学んできたものは、本来それぞれの繋がりを意識して学ぶことが必要なのではないか、と市民教育の研究を始めてから強く思います。
 
では、それらを繋ぐものは何かということになるのですが、
こちらの記事にも書いたとおり、わたしは教育プログラム全体のベースには、社会正義(Social justice)の促進、特に人権(Human rights)の尊重という共通意識があるべきだと考えています。
 
そのために国はどのような教育方針、カリキュラムを打ち出すべきなのか、
 
学校現場では何をどう教えていけるのか、
 
わたしのいるNGOセクターではどのようなアドボカシー(政策提言)、サポートをしていけるのか。
 
考えなければいけないことは山積みだし、1年イギリスで研究して修士号を取っただけで答えが出るなんて思っていません。
 
ただ、世界中で起きている負の連鎖を見るにつけ、
取り返しのつかないことが起こってから表面上の議論をするのではなく、
根本的に、教育の在り方から考え直すべきなんじゃないか
という想いは強くなるばかりです。
 
「教育」というのはすぐに成果が出るような特効薬ではないし、
そもそも何が正しくて何が間違っていると言える話ではないので、わたしの考えは理想論だと言う人もいるでしょう。
でも、少なくともわたしは、「自分自身と他者の人権をどう守っていくべきか」を考え、議論する機会がもっとあるべきだと強く信じています。大人も子どもも。
 
heart_apple2
 
”どうせ自分は非力な存在で、どうあがいたって社会なんて変えられないんだな”
 
と、20歳の時にセルビアで抱いたやさぐれた気持ち。
 
そのあと、学生ボランティアの活動をスタッフとしてサポートする立場になり、徐々に自分の中で膨らんでいった、
 
”一人ひとりが、自分自身の役割や尊厳に気付き、他者と多様性を認め合いながら参加できる社会を創っていくために、教育者としてどうエンパワーメントしていけるだろう?”
 
という疑問。
 
これが、わたしが留学を決めた原点です。
 
国際情勢が揺らいでいて、何を、誰を信じたらいいのかわからなくなることもあるけれど。
こんな時だからこそ、原点に立ち戻って、自分にできることを一つひとつ着実にやっていきたい。
今すぐに何かを変えることはできなくても、過去の教訓を未来に繋げるために、教育のフィールドでできることがきっとあるはずだと信じて。
 
とりとめもなく書いてしまったけれど、ここ最近こんなことをぐるぐると考えています。
 
[Photo via zsazsabellagio.blogspot]

27歳。枝を広げるよりも、根を深く伸ばす一年に。

 
今年も無事に、誕生日を迎えることができ、27歳になりました!いつも応援してくれる家族、恋人、そして友人の皆さん、ありがとうございます。ヨークで、いつもと特に変わらない一日を過ごしています。
 

☆ビックリするほど髪が伸びました。帰国したら、美容師である妹に切ってもらうのが楽しみ!
 
毎年、誕生日になった途端にFacebookの自分のウォールにたくさんのメッセージが投稿され、本当に嬉しくありがたく思っていたのですが・・・今年は、自分以外の人は投稿できない設定にそっと変えてしまいました。
 
というのも、昨年あまりに多くの書き込みをいただいたため、わたしが読み切れないまま埋もれてしまった(お返事のコメントを書き損ねていることにあとで気付いた)ものもあり、申し訳なく思ったのと、
 
Facebookの機能で「今日はこの人の誕生日です」とお知らせ通知が来て、反射的に「おめでとう!」の一言を書き込むのって、うまく言えないけど、なんか違う気がするなぁとわたしが感じているから、というのが理由です(^_^;)あ、それがおかしいという言いたいのではなくて、あくまでも個人的な違和感です、あしからず。。
 
なので、ウォールに書き込みができなくても、わざわざ個人的なメッセージを送ってくださる方々がいるなら、それに対して丁寧にお返事がしたいと今年は思ったわけです。それでもなお、たくさんお祝いの言葉をいただいて・・・公開投稿ではなく個別メッセージであるぶん、プライベートな思い出話や、詳細な近況報告をしてくださる方が多く、今の自分にはこういう形のコミュニケーションが合っているな、なんて思った誕生日でした。
 
***
 
正直なところ、「27歳」という年齢にはあまり特別な感情を抱いておらず・・・(25歳を過ぎてから、年齢に対する感覚があまり変わっていないような気がします。毎年「アラサーだね!」とか言われるけど、だからどうっていうわけでもない。笑)
 
でも、最近、自分の価値観が少しずつ揺らいで、再構築されつつあることは感じています。仕事を辞めたから、とか大学院留学したから、という理由で「ドラマティックに自分が変わる」ような衝動的なことではなく、
 
これまで自分のありたい姿とか、立ち位置とか、周りとの関係性など、ここ1~2年でゆーっくりと大きな流れが変わってきているような気が何となくしているのです。わたしにしては珍しく、感覚的な話になってしまうのですが。
 
そんな中で、自分はどんな風に行動していきたいのかな、ということを言葉にして再確認してみようと思い、一応誕生日という節目を迎えたので、ここに綴ることにしました。
 
■他人目線ではなく、もっと自分本位に。
・社会的評価や目に見えるわかりやすい結果を追い求めることから一旦離れる。「自分のために」やりたいと思うことに挑戦し、地道に実績を積み重ねる。
 
■万人ウケよりも心地良い関係を。
・みんなに好かれることよりも、自分が心地良くいられる範囲で、一対一の人間関係を大切にする。そして、変わらずに愛してくれている人たちへの感謝の気持ちを言葉で伝える。
 
■勇気が必要な、ワクワクする方へ。
・迷ったら、楽な道よりも勇気のいる方を選び、周りの期待よりも自分の直感、ワクワクする気持ちを優先する。でも「あれもこれも」と欲張らず、心身の健康を第一優先に。
 
■「広く浅く」よりも「狭く深く」。
・中途半端な専門家気取りのアウトプットはしない。たとえ狭くても、自分が本当に興味のあることを深く学び、本当に伝えたい人に向けてシェアすることに注力する。
 
■その時の自分だからできること。
・「いま、ここ」だからできる選択・行動を意識する。それと同時に、その少し先にある未来もイメージしておく。
 
***
 
昨年の7月にイギリスに来てから、半年。
わかりやすい苦労や挫折は、実は経験していません。思ったよりも「こなせてしまっている」というのが正直なところです。
だからこそ、逆に焦りもあります。もっと自分に負荷をかけるべきなんじゃないか、とか・・・
何よりもツライのは、「この人、すごい!わたしも負けていられない」と思わせられるような、自分を引っ張り上げてくれるような人が周りにいないことです。これまで常に、コンプレックスとか憧れを原動力に突っ走ってきたわたしにとって、これはなかなか戸惑う環境だったりします。
 
と同時に、
「周りと比較することで自分の立っている場所を評価する」
というやり方から、
「自分自身の軌跡と理想を信じて、地道に積み上げていく」
ということに注力すべき転換期なのだろうともぼんやり思っています。
 
ここ2~3年は、働きながら自分のプロジェクトを立ち上げたり、毎月のようにイベントを主催したり、メディアにも露出したり、どんな仕事の依頼も片っ端から引き受けることで「とにかく自分の実績を増やす」ことに躍起になっていました。
 
そのおかげで出会えた人、学んだことは数えきれないぐらいあるので、全く後悔はしていないし、それが必要な時期だったのだと自分でも思います。でも、欲張りすぎて地に足がついていなかった部分もあったかも。今年は、また1から地道に積み上げていきたいな。
 
「何も咲かない寒い日は
下へ下へと根を伸ばせ
やがて大きな花が咲く」
 
(マラソンの高橋尚子選手の座右の銘だそうです)
 
これからの一年、9月まではイギリスで勉学に励むわけですが、「外へ外へ」と枝を広げるよりも、「下へ下へと」根を伸ばしていきます。28歳になる時には、小さくてもいいから何か花が咲いているといいな。ブログでの発信も気ままに続けていきますので、お付き合いいただけたらうれしいです!今年もどうぞよろしくお願い致します。
 

カラフルな世界のどこかで、また。

 
クリスマスイブから年明けまで、ヨークを離れてロンドンに滞在。あっという間の10日間でした!
 
Tower Bridge

Tower Bridge seen from the Millennium Bridge, London

 
5年前にデンマーク・コペンハーゲンのDAN HOSTEL COPENHAGEN CITYというユースホステルで出会った、Sanita(サニータ)という女性の家に居候させてもらいました。
 
Five years ago
わたしがバックパッカー旅行をしていた時(当時、21歳・大学4年生)のブログが今でも残っているので、たまに読み返したりしています。
 
▼サニータと出会った日のこと。
http://ameblo.jp/mio-gullorbee/entry-10375988141.html
 
▼2人で観光し、別れた日のこと。
http://ameblo.jp/mio-gullorbee/entry-10376082228.html
 
思えばたった1日半、一緒に過ごしただけなのに、そのあとFacebookを通じて連絡を取り続けていたおかげで、今回5年ぶりに会うことができました!キングス・クロス駅で待ち合わせている間、ちょっとドキドキしちゃった。ハグした瞬間、いろんな思い出が溢れてきました。
 
***
 
わたしはバックパッカーで旅をしていた時、常に小さなノートを持ち歩いていて、出会った人たちに母国語でメッセージをもらいながらいろんな国を回っていました。
 
enbook_4
 
このノートブックはたくさんの「ご縁」が詰まっているわたしの宝物で、大学生活最後の冒険の証。実はこのブログのタイトルである【Enbook(エンブック】はそこから付けました。
 
もちろん、サニータに書いてもらったメッセージもちゃーんと残っています。
 
from Sanita
 
「これ、5年前に書いてくれたメッセージだよ!覚えてる?」
 
とサニータに見せたら、
 
「うわ!字が汚くて恥ずかしい!(笑)」
 
と言ったあとに、
 
「実はね、Mioがくれたメッセージも残してあるんだよ」
 
と、本棚の上から箱を取り出し、中に入っているカードを見せてくれました。
 
From Mio
 
「2人で行ったアートギャラリーでもらった紙にメッセージを書いて、サニータがシャワー浴びてる間にベッドに置いておいたんだよね!懐かしいね」
 
と言ったら、
 
「具体的に覚えてるんだね。若いから記憶力いいんだねきっと(笑)」
 
って驚いてました(全部ブログに残してあるからね^^)。
 
あの時は、他愛もない会話ばかりだったけれど、5年ぶりに会って、毎晩遅くまでいろんな話をしました。お互いの旅のこと、家族のこと、仕事のこと、パートナーシップのこと、将来のこと。一度、真剣に語りすぎてケンカにもなりかけました(笑)
 
サニータがコペンハーゲンへ行ったのは、別れたパートナーと話をしてきっちりと関係にピリオドを打つためだったのだそう。たしか当時は、「友だちの所に遊びに来た」とだけ言っていたっけ。
 
サニータはレズビアンなので、「初対面のMioに、パートナーが女性だと言ったらどんな反応されるかわからなかったから、具体的には話せなかったんだよね」と。いまだに、仲の良い友人しか知らないんだって(わざわざみんなに言う話でもないだろうし)。
 
わたしも今回再会して初めてサニータがレズビアンだと知ったんだけど、「あ、そうなんだ」ぐらいにしか思わなかった。でももし、わたしがたくさん旅していろんな価値観に触れていなかったら、もっと保守的な考えを持っていたかもしれないなぁ。。
 
***
 
サニータは現在39歳で、ロンドンで生まれ育った女性ですが、両親がインド出身(Ponjabi=ポンジャビ)なので、インド式の伝統的な家族行事は守っています。
 
インドでは、誰かが遠くに旅行する前にご飯と魚料理をみんなで食べてから送り出す習慣があるということで、クリスマスイブの夜にインドへ発つサニータのお父さんとお兄さんを親戚みんな(サニータは8人兄弟!)で見送ったあと、クリスマスパーティーにも混ぜてもらいました!
 
home party
 
すごく仲が良い家族で、サニータは今でも週に2〜3回お母さんの家を訪ねているそう。でもサニータは10代と20代前半の時、二度も親に望まない結婚を強いられ、その後耐えきれずに逃げ出した経験もあり、なかなか親子間の確執は消えなかったと話してくれました。
 
(サニータの他にも、旅先で出来た友だちは何人もいるけれど、みんな、一瞬の出会いではわからないいろんな過去を背負っていて、それを積み重ねた先のどこかでわたしと出会っているんだな、不思議な気持ち)
 
全く異なるルーツを持ち、それぞれ違う理由で旅をしていたわたしとサニータの人生は、5年前のコペンハーゲンで偶然、交差したわけで。ちょっとしたタイミングがズレていれば、きっと出会うことはなかった2人なのに、今回こうやってサニータの家のリビングでワインを飲みながら夜な夜な話す日が来るなんて。
 
***
 
会っていなかった5年間で、お互いの環境にも大きな変化がありました。
 
当時サニータはAge UKというNGOで働いていましたが、その後は写真の学校に通い、今はフリーのフォトグラファーになることを考えています。いま何となく考えているのは、ムスリムの結婚式写真の専門カメラマンとしてやっていくこと(ムスリムの女性は、女性にしか写真を撮られてはいけないという決まりがあるので、これまで知り合いづてに何度か依頼されて撮ったことがあるのだそう)。でもフリーランスでやっていくのはなかなか難しいと言っていました。
 
一方5年前のわたしは、就職活動を終え、大学生活最後の夏休みを利用して2ヶ月間、世界一周航空券でトルコからスタートしてアフリカ〜ヨーロッパ〜北米をぐるっと旅しているところでした。「就職したら、長期で海外に行けることはなくなるだろうから、今のうちに!」と日本を飛び出したのが懐かしい。
まだあの時は、赤十字に入社する前で、まさかその4年後に退職して、イギリスの大学院に留学することになるなんて考えてもみなかった。。
 
image
***
 
わたしの人生は、この世に生まれた時から現在までくねくねと伸びている一本の道で、それは他のみんなの人生にも言えること。
自分自身の選択(と、目には見えない大きな力)によって伸びていく方向は変わっていく。
 
そして、いつどこで誰の人生とどんな風に交差するのか予想もつかない。道と道が交わった後、そのまま違う方向に伸びていって一生出会わない可能性もあれば、もしかしたら複数が合わさって太い道になり、共に伸びていくこともあるかもしれない。
 
それぞれが持っている色も違っていて、きっとそれは単色と言うよりもグラデーション。混ざった時にまた新しい色が生まれて・・・と考えたら、「世界中カラフルだなー!」ってワクワクする。
 
***
 
これが最後の長期海外旅行だと腹をくくって決行した5年前の一人旅では、どこの国でもユースホステルに泊まっていて、新しい部屋のドアを開けるたびに新しい出会いがあり、それと入れ違いで同室だった人との別れもありました。
「せっかく友だちになれたのにもう会えないんじゃないか」と思っていたから、”Good bye”を言うのが辛くて毎日泣いたり笑ったり忙しかった。サニータよりも早く宿を出たあの日もそうだったな。
 
でもわたしが生きているこの時代は、インターネットが発達して、飛行機も世界中を飛んでいて、ほんの少しの勇気(とお金と時間!)があれば、きっとまた会える。もちろんそれが可能なのは、恵まれた環境にいるからだということは忘れちゃいけないけれど。
 
だから今は、
”See you again somewhere in this small world!” (この小さな世界のどこかで、また会おうね!)
って笑顔で(でもちょっぴり涙目で)言えるようになった自分がいます^^
ちっぽけなわたしだけど、日本も含め世界中にカラフルな個性を持った友人がたくさんいることが何よりの誇りです。
 
これまで出会ってくださった皆さん、ありがとうございます。わたしには世界を丸ごと変える力はないけれど、少なくとも自分の道と交差した誰かの人生に新しい彩りを加え、ポジティヴな化学反応を生み出せる人でありたいです。
 
そしてまだ出会っていない、世界中の人へ。わたしは、自分の意思ではコントロールできない大きな力によって人生が導かれている、と何となく感じると同時に、「出会うべき人とは、然るべきタイミングで出会うことになっている」と信じています。うまく説明できないけれど、そんな気がする!お互いの人生が交差したときには、どうぞよろしくお願いします^^
 
***
 
さて、サニータのお陰でロンドンでの休暇を満喫したので、そろそろヨークでの大学院生活に戻ります。試験とエッセイ提出を終えたら、Spring term(春学期)がスタートします。
 
2015年も、たくさんの出会いと発見に満ち溢れた一年になりますように♬
今年もどうぞよろしくお願い致します!
 

2014年、多くの変化から学んだ5つのこと。

 
あっという間に2014年最後の日になってしまいました!休暇を利用してロンドンに遊びに来ていて、ここで友人たちと年越しを迎えようとしています。紅白歌合戦も年越しそばもない大晦日なんて、人生で初めてかも。
 
今年は、本当にいろんなことがありました。
3月末に、新卒で4年間働いた赤十字を退職し、
4~6月は国連広報センターでインターンとしてお世話になり、
7月からイギリス・ヨークでの留学生活がスタートしました。
 
こっちに来てすぐ、大泣きして大学のスタッフを困惑させたこともあったけれど、
8週間のプリセッショナルが終わり、修士課程に入る頃にはだいぶ生活も落ち着き、アルバイトを始める余裕も出てきました
秋学期の10週間はとにかく勉強・勉強・勉強!という毎日でしたが、たまには息抜きで友人たちと出かけたり、学内外のイベントに参加したり、楽しく過ごすことができました!
 
・・・とザッと振り返ると、スムーズに進んだ1年に聞こえてしまいますが、実際はそんなはずもなく、理想と現実の狭間で焦燥感に駆られることもあれば、急にプツッと集中力が切れてヤル気がなくなることもありました。
でも、変化に富んだ1年を過ごす中で、学んだこと、腑に落ちたこともたくさんあったので、来年に繋げるために綴ってみたいと思います。
 
2015newyear
photo by etsy.com
 
**********
■心と体の健康はつながっている
 
至極当たり前のことなのですが、ヨークに来てから実感したことのひとつが「心のストレスから解放されると体も健康になる」ということ。日本で働いていた時、もちろん仕事も職場の方々のことも大好きだったのですが、毎日の電車通勤、繁忙期の深夜残業、働きながらの留学準備、退職に関わる話し合い・・・などなど小さなストレスが積み重なり、肌荒れや肩こり、喘息の発症など体はあまり健康とは言えない状態がずっと続いていて、それによってまた気持ちが落ち込む・・・という悪循環を断ち切れずにいました。
 
大学院での勉強もそれなりにタフではあるものの、のどかなヨークでスローライフを送る中で、肌や体の調子がどんどん良くなってきました。キャンパスの中にある学生寮に住んでいるので満員の通勤電車とも無縁だし、毎日スニーカーを履いているので、ヒール靴にぎゅうぎゅう押し込められていた足の痛みもなくなり、それなりに規則正しい生活を送っています(日本にいた時は、疲れがたまりすぎて土曜日の朝にちゃんと起きられなかった)。クラスメイトが「読まなきゃいけない文献が多いし、勉強が忙しすぎてツライ・・・」と良く愚痴をこぼしたりしていますが、東京でのOL生活に比べたら大したことないよー、と心の中で思っています(笑)。
 
 
■まずはきちんと主張する。ダメなら気持ちを切り替える
 
大学院への出願の時点から薄々気付いてはいましたが、イギリス(もしくはヨーク?)は手続きが進むのが遅いwです。一度リクエストしただけでは何も返事がなかったり、「確認してみるね」と言われたあと何も音沙汰がなかったり。大学のスタッフも、店員も、自分たちの最低限の職務範囲を超えて何かをしてくれることはないので、本当に必要であればしつこく念押しするぐらいがちょうどいいです。
 
わたしは元々、「また文句言ったら迷惑かな・・・」とか、「うるさい客だと思われたらイヤだな・・・」とか考えがちだったのですが、主張する・されるのが当たり前だから、それで嫌われることはない、と学んでからは開き直って交渉をしています。でも、ただクレームを入れるだけでは効果がないので、いくつか気を付けていることがあります。
 
・要求の内容を最初に明確に伝える(困っている理由を長々言う前に)
・可能であれば、相手が譲歩しやすいように代替案を提示する
・強く主張はしつつ、できるだけ丁寧な言葉で締めくくる(対面であれば笑顔)
・リクエストを受けて相手が対応してくれたら、最大限の感謝の気持ちを伝える
 
たとえば、春学期のモジュール(授業)をオンラインで選ぶときに、早い者勝ちシステムだったのですが、予約開始の日時がたまたま自分が講義を受ける時間と重なってしまっているという問題がありました。わたしはどうしても選択したいモジュールがあったのに、それだと予約する前に席が埋まってしまう可能性があり、不公平だと思ったので、「予約開始日時をズラすか、もしくはメールで事前に選択したいモジュールを受け付けるなど、全ての学生に平等にチャンスが与えてください」と大学のスタッフにメールでリクエスト。大学側は一部の学生の講義時間と重なっていることに気付いていなかったらしく、その後「予約開始を1時間早めます」という変更アナウンスを全員にしてくれました。
 
とは言え、リクエストが通らなくて理不尽だ!と思うこともしばしば。そういう場合はもうどうしようもないので、諦めて気持ちを切り替えるしかないです(笑)。主張しないといけない場面ばかりなので、いちいち引きずっていたら生きていけない!
 
 
楽しむためにはそれなりの努力が必要
 
在籍しているヨーク大学の修士課程(教育学部・グローバル市民教育専攻)は、いつか勉強したいと思っていた場所であり、今でも選んでよかったと思っているコースなのですが、一つだけ残念だなぁと思っていることがあります。それは、「学生の8割が中国人」ということ。将来中国で英語の先生になりたい、という学生が多いようで、授業によっては私以外全員中国人、ということもあったりします。
 
彼女たちとは仲良くやっていますし、中国に対して嫌悪感があるという意味ではないのですが、「せっかくイギリスに来たのに中国人ばっかり・・・」という気持ちが、正直拭いきれません。渡英する前は「もし自分の英語力が足りなくて、ハイレベルな授業についていけなかったらどうしよう」という不安や、「でもそういう環境で鍛えられたい!」という期待があったのですが、蓋を開けてみたら、授業を受けるうえではほとんど苦労していません。むしろ、わたしがリードを取ることが多いので、物足りないなぁと感じることもしばしば。もちろん、勉強の内容そのものは奥が深く、まだまだ学ばなければいけないことがあるのですが、環境面ではあまり恵まれているとは言いがたい状況。
 
このジレンマ、夏に受けていたプリセッショナルコースでも感じていて、「楽しくないと感じるなら、不満をもらすよりもその状況を自分で変えるしかない」と気付いたので、今はできるだけ授業以外でも勉強会に参加したり、自分以外の全員がネイティヴスピーカーというカフェで働いたりと、付き合う人や所属するコミュニティを意識的に選び取るようにしています。それでもまだまだ物足りない(変な言い方ですが、もっと苦労する環境に身を置きたい)ので、春学期はより自分の興味に近いオフィスでインターンをしたり、より洗練されたスピーキングを学べるクラスを取りたいと考えています。
 
それなりのコストをかけて真剣にやっていることだからこそ、心から楽しみたい。でもその環境が最初から与えられていることは稀で、「なんか違うな」と感じたときに不平を言ったり、まぁこんなもんでいいかなと妥協することは簡単だけれど、自分の気持ちに嘘はつけないから、本当に楽しみたいなら環境自体を変えるしかない。留学に限らず、人生を楽しんでいる人って、傍目には気楽に見えたりするけれど、実は「楽しむための努力」をしているんだと思います。
 
 
■自分の問題と他人の問題を切り離して考える
 
同じ大学院に留学している学生とは言え、それぞれのモチベーションや熱意はバラバラ。そこまで勉強したかったわけじゃなかったけど、親に強く勧められたら来た、という子や、親が全てのお金を出してくれるから週末や休暇はとにかく旅行三昧、という子もいます。わたしは大好きだった職場を悩んで悩んで辞めて、自分の貯金全てをつぎ込んで留学していて、精神的にも経済的にも結構切羽詰まっているので、「修士号が取れるならそんなに成績は良くなくてもいい」みたいな考えの学生を見ると、この世の中はなんて不公平なんだ!と苛立つことも少なくないです(笑)。でも、他の人がどんな風に生きていようが、それはわたしの人生には関係ないことなんですよね。そういう人と一緒にいることが自分にとってプラスに働かないのであれば、前の項目でも書いたとおり、付き合う相手を変えるしかない。異なるバックグラウンドを持つ人たちと理解し合おうとすることはもちろん大切ですが、納得のいく結果を得るためには、「わたしはわたし、他人は他人」という意識も強く持つ必要があるようです。
 
また、日本にいる友人たちの近況報告をFacebookなどで見て、何となく焦ってしまいそうになることも。学生時代の友達の結婚とか出産は「おめでたいなぁ^^」と思うだけなのですが、自分が日本にいたときに一緒に活動していた同年代の人たちが起業したり、新しく事業を始めたり、イベントを成功させたりキャリアを積んでいるのを見ると、置いてきぼりをくらっているような気がしてしまうんですよね。みんな働き盛りなのに、わたし仕事辞めてまた学生やってて大丈夫なのか?と。もちろん、将来のこともいろいろ考えたうえでの決断なので、結局は「今はこれでいいんだ、焦る必要ない」という結論に落ち着くのですが、「今」という一点だけ見てしまうと遅れを取っているように見えてしまう。この一瞬一瞬を生きつつも、そこだけではなく、もっと遠くにある自分の姿も想像しながら、マイペースにやっていきたいと思います!
 
 
■選択の本当の意味は、後になってわかる
 
わたしのモットーというか、常に自分に言い聞かせていることは、以前ブログにも書いたとおり『正しい道を選ぶのではなく、選んだ道を正解にしていくこと』なのですが、イギリスに留学して大学院で勉強するようになってから、「あの時の選択は、ここに来るためだったのかもしれないなぁ」と思うことが本当に多く、それが前に進む勇気に繋がっています。
 
秋学期は「シティズンシップ教育(市民教育)」の基本的な概念や「教育を通じた社会正義の実現」などについて学んだのですが、その中で自分が教育を通じて追求していきたいのは「人権(Human rights)の尊重」なんだなと再確認できました(詳しくは別記事に書きたいと思っています)。大学生の時に、Save the ChildrenというNGOでユースボランティアをしていたときには「子どもに関わる活動がしたいな」程度の気持ちから入り、子どもの権利条約の啓発プロジェクトなどに携わることになったのですが、その出会いには意味があったんだなとあらためて思えたり。
 
また、小さいころからずーっと培われてきた勉強に対する姿勢も、今になって大きな助けになっています。わたしは昔から勉強が大好きで、受験勉強も全然苦にならないタイプだったのですが、塾講師のアルバイトをしていたときに生徒から「大人になってこの知識を全部使うわけじゃないのに、何でこんなにたくさん勉強しなきゃいけないの?」と聞かれた時にうまく答えられませんでした(わたしにとって、ただ楽しいから勉強していただけで、そこには理由は必要なかったので)。
 
でも、学校を卒業して、働いて、26歳で大学院生になった今、「学生時代の勉強って、その内容そのものが大切というよりも、本当に心から勉強したいことが見つかったときに、粘り強く勉強するための下地作りだったのかも」と思うようになりました。大学院では、特に課題提出の前は何十冊も文献を読み、10時間以上もパソコンに向かわないといけないので、もともと勉強の習慣がないと、結構キツイと思います。長時間勉強することに慣れているわたしですら、じっと座ってエッセイ(レポート)を書き続けことに疲れることもあるので・・・。でも、基本的には「ひたすら勉強し続けるこの感じ、懐かしいな~」ぐらいの気持ちで楽しくやれているのは、学生時代にクセを付けておいたおかげだな、と子どもの頃の自分(と、超厳しく勉強させてくれた両親)に感謝しています。あの努力は無駄じゃなかった!だからきっと、今の大学院での勉強も、いつかちゃんと役立つことがあるから焦らなくて大丈夫、と思うようにしています。
 
 
**********
 
 
2014年をちょっと振り返ろうと思っていただけだったのに、気付けばたくさん書いてしまいました・・・。それだけ、自分と向き合うことが多く、気持ちを整理する時間が必要だったということですね(文章にするとそういうことがわかるから面白いです^^)。
来年も、引き続き「変化」を楽しむ1年にしたいと思います。皆さんも良いお年をお迎えください♪