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日本の道徳教育を「人権」の観点から考えてみた

 
■最近話題の、「道徳の時間」の教科化について
 
昨年(2014年)10月、中央教育審議会が「道徳教育の教科化」を下村博文文部科学相に答申しました。現在は正式な教科ではない小中学校の「道徳の時間」を、「特別の教科」(数値評価を行わない)に格上げし、検定教科書を導入する方針。文科省は学習指導要領を改定し、早ければ平成30年度(2018年)からの教科化を目指すという報道がありました。
 
☆リンク:道徳に係る教育課程の改善等について(答申)(中教審第176号)
 
わたしは現在、イギリスの大学院で「市民教育(Citizenship Education)」について学んでいて、日本の「道徳の時間」は部分的に重なる部分があると思っているので、関心のある話題です。これについてFacebookで友人の皆さんから「どう思いますか?」と自由な意見を募ったところ、さまざまな立場の方からたくさんのコメントをいただきました(ありがとうございました!)。以下、一部抜粋してご紹介させていただいたあとに、わたし自身の考えも書いてみます。
 
☆「道徳の時間」が大切な理由は?
 
・いじめや犯罪防止に限らず、勉学やビジネスにとっても、道徳など情操教育の重要性を感じている。
 
・(カトリックの私立小学校では)「宗教の時間」が「道徳の時間」代わりで、聖書の物語を通じて隣人愛を学び、世界に色々な他の宗教があることを知ることができた。
 
・宗教の授業を通してボランティアや募金活動を身近に感じられた。小さいときに良い話を聞く機会を作るのは大切。
 
・授業を受けていた当時はあまり記憶に残らなかったけれど、大人になってから他人への思いやりや恩の大切さを実感するようになった。
 
・他の教科は答えを導き出すことに特化しているけれど、道徳の時間は感性を育める。同時に、教える教師自身の戒めにもなるのでは。
 
・教科化には賛成。でも教科書を読んで、筆者の考えを先生がそれとなく述べるだけなのであれば必要ない。
 
・道徳の授業を通して、初めて何かを知る生徒がいるかもしれない。でも社会一般の道徳常識が備わったのは、(授業よりも)両親の影響が大きいと感じる。
 
・日本にはキリスト教など強い教義を持つ宗教が社会の核とはなっていないから、学校教育で「道徳」が特に必要なのでは。個々の価値観が多様化するからこそ、あえて社会共通の価値観である「常識」を作らないと荒れていってしまう。
 
☆教科として評価することへの疑問
 
・特定の価値観を押し付けることになりそうだから、道徳の教科化には反対。
 
・教科化すると、検定教科書に書いてあることを頭に入れるだけになってしまいそう。
 
・「教科=成績をつける」のであれば教科化には反対。
 
☆そもそも「道徳の時間」って学校で必要?
 
・教科化の是非論議の前に、そもそもどういう日本人を育てたいのか、という根本的な議論が政治の世界で未熟な気がする。
 
・道徳心は、教科として学校で教えるよりも、電車とか公共の場での大人のマナーを見て養われるのでは。
 
・「道徳の時間」の中身はあまり覚えていない。「学校活動全体を通して」(掃除の時間や給食の配膳とか、昼休みや行事準備など)という形で道徳を学んだように思う。
 
☆「道徳の時間」に求められること
 
・内容にもよるけれど、人権教育や選挙民教育はした方がいい。
 
・教師や大人の顔色ばかりを伺う児童を作らないために、教える内容をジレンマにする必要がある。
 
・既存の各教科の中で道徳を学ぶべきで、「道徳の時間」の役割は、自分たちの生活を問い直す視点から各教科で得た知識を連結することにある。
 
・自分の命は自分で守れ、他者の命(人間としての尊厳)も同じように守れ、ということさえ教えてくれたらそれでいい。
 
・「これが優しさのカタチ」みたいに形や態度だけの教えになったら本質的ではない。だから、道徳の授業は答えのないような人生・世界
の問いについてとことんディスカッションする時間にしたらいいと思う。
 
・「規律」を学ぶんじゃない、一つの答えがあるんじゃなく皆で共有するものだ、と思える内容であることが大事。
 
・・・などなど、他にもいろいろご意見をいただき、大変参考になりました!
 
皆さんから寄せていただいたコメントを見ると、これまで習ってきた道徳教育については
 
「いい話」「優しさ」「思いやり」「愛」「感性」「モラルや規律」
 
といったキーワードを使われる方が多かった印象を受けました。
 
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■わたしの個人的な意見
 
・日本の道徳教育では、「差別をしない思いやりの心」といった個人間(ヨコ)の心理的側面が強調されてきた。
 
・しかし、本質的には「社会正義(Social Justice)」、特に「人権(Human rights)尊重」の共通理解がベースにあるべきであり、国家対市民(タテ)の関係や人権侵害(差別など)が起こる社会的構造を無視してはならない(教科化するのであれば、「人権の時間」という名前にして方向性を明確にすべき)。
 
・また、「道徳の時間」の単独枠で教えようとするのではなく、「公民」を中心に他教科との関連性を意識したうえで、将来自分や他者の権利を守るためにはどう行動するべきかを議論し、考える時間にするべき
 
だとわたしは考えています。詳しくは、また後ほど説明します!
 
■政府としてはどのように道徳教育を捉えているのか
 
先にリンクを貼った中央教育審議会の答申(以下、「答申」)では、下記のように書かれています。

道徳教育を通じて育成される道徳性、とりわけ、内省しつつ物事の本質を考える力や何事にも主体性をもって誠実に向き合う意志や態度、豊かな情操などは、「豊かな心」だけでなく、「確かな学力」や「健やかな体」の基盤ともなり、「生きる力」を育むものである。
学校における道徳教育は、児童生徒一人一人が将来に対する夢や希望、自らの人生や未来を切り拓いていく力を育む源となるものでなければならない。

ちなみにここで出てくる「生きる力」とは、“「ゆとり」でも、「詰め込み」でもない”新学習指導要領の軸となるものです(漠然としている感は否めませんが・・・)。
 
☆リンク:新学習指導要領・生きる力:文部科学省
 
そのほか、道徳教育を通じて身に付けるべき基本的資質として、
 
・多様な価値観の、時に対立がある場合を含めて、誠実にそれらの価値に向き合い、道徳としての問題を考え続ける姿勢
・社会のルールやマナー、人としてしてはならないことなどについてしっかりと身に付けさせる
・それぞれの人生において出会うであろう多様で複雑な具体的事象に対し、一人一人が多角的に考え、判断し、適切に行動する
 
などが答申の中で挙げられています。
 
道徳的価値については、
 
1. 主として自分自身に関すること
2. 主として他の人との関わりに関すること
3. 主として自然や崇高なものとの関わりに関すること
4. 主として集団や社会との関わりに関すること
 
の四つの視点で分類されているようです。
 
■わたしが考える日本の道徳教育の課題
※秋学期のモジュールの一つ(Education and Social Justice)の最終エッセイで取り上げた内容にも重なります。
 
先ほど書いたとおり、わたしは
 
道徳教育=「思いやりの心」や「優しさ」を教える教育
 
という短絡的な捉え方に疑問を持っています。
 
「差別はいけません」「人に優しくしましょう」というのはあくまでも個人レベルの話であって、「(いけないことだとわかっていても)なぜ差別や排除が起きるのか?」という社会構造レベルの問いに答えるには十分ではないし、「社会のルールを守りましょう」と教えるだけでは、たとえば「成人したら選挙に行こう」というモチベーションには結びつかない、と考えるからです(ちなみにわたしが投票に行く大きな理由の一つは、「自分の権利を守るため」です)。
 
もちろん、モラルや規律を守ることは大切ですが、大前提として
 
一人ひとりに「人権」があり、それは尊重されなければいけない
 
という共通理解を育むために(「道徳の時間」に限らず)教育が行われるべきであり、
 
「思いやりの心」だけでは自分の人権も、他者の人権も守れない
 
ということを(教師も生徒も)認識するべき、というのがわたしの考えです。
 
また、子どもに「権利」なんて教えたら、わがままを助長する、自己中心的なことを言うようになる・・・などという意見が聞かれることもありますが、「人権とわがままは異なるものである」ということも(大人含め)学ぶ必要があると思います(むしろ、何が違うのか?を考える時間を授業の中で持つべきでしょう)。
 
もちろん子どもの成長段階に合わせて内容は検討されるべきですが、
 
・日常生活のどんな場面で人権が侵害されるのか?
→いま戦争をしている「遠い国」だけでなくて自分たちの普段の生活でも起こりうること。
 
・人権侵害から守るためには、何と闘い、どんな手段を取る必要があるのか?
→一人ひとりの権利を勝ち取るためには、既存の法律や制度を変えなければいけないこともある。
→だからこそ、「公民(政治・経済や現代社会など)」の授業を通じて、国家と市民との関係を学ぶ必要がある(「1948年に世界人権宣言が採択された」ということを試験のために暗記するだけでは意味がない)
 
など、道徳の時間では、公民を中心に他教科との関連性を意識したうえで、将来自分や他者の権利を守るためにはどうしたら良いのかを議論し、考える時間であるべきだと思います。その中で子どもたちは、「それぞれが権利を主張する時、互いの言い分がぶつかることもある」ことに気付き、その葛藤の中でどう他者と協働していくべきか?を考えることになるのではないでしょうか。
 
Facebookで意見を募ったときに「道徳の授業で学んだことはあまり記憶にないけれど、いい話を聞いたような気がする」という印象を述べた人が少なくなかったのは、将来、実生活の中で役に立つ内容ではなかったから、というのが一因だと思います(わたしも「さわやかさんくみ」観たなぁ・・・ぐらいしか覚えていません。それはそれで楽しかったですが)。
 
■現在の日本の学校教育における限界
 
とは言え、人権教育を日本の学校教育の中で実践するうえで難しい点もいくつかあります。
 
・市民革命を通じて人権宣言を採択したフランスなどとは異なり、日本では「人権とはや闘争の末に勝ち取るもの」という意識が薄い
(部落問題をめぐる政治的闘争はあったもの、全国的に広がりを見せた運動ではない)
 
・「人権」は個人間だけの問題ではなく、人権侵害の主体となりうる国家vs権利を主張する市民という対立構造も生むため、国家に対する批判的姿勢も人権教育を通じて育まれるべきだが、教育カリキュラムが政府主導であり、学習指導要領が(実質)法的拘束力を持つ日本では、学校で教師が教えられることに限界がある(ゆえに、「思いやりの心」のような無難な内容になりがち)。
 
・人権教育には教師の指導力が問われるが、ただでさえ忙しい学校の教師が人権について体系的に学び、それを生徒たちに教えるということは容易なことではない(「正解」がない内容であるからこそ、より一層教えるのが難しく、学校や教師の経験によって差が出てしまう)。
 
など。
 
これらの課題については、今後の大学院での研究生活、また修了後のキャリアを通じて考えていく必要がありますが、上辺だけではない人権教育を実践するためには、政府・学校・地域・家庭の連携だけでなく、NGOなどの民間組織との協働が不可欠だろうと個人的には思っています(わたしがNGOの業界に身を置いている理由の一つは、ここにあります)。
 
■まとめ
 
「道徳教育」と言うと、「優しさ」「思いやり」などの心理的側面が強調されがちですが、「モノカルチャー社会」として捉えられることが多かった日本社会でも、今後ますます多様化が進み、それだけでは対応できない問題も出てくると思います。国内だけでなく、グローバリゼーションが進む国際社会全体の課題でもあります。
 
だからこそ、人間が平等に持っている「人権」の尊重を前提に、それを守るためにどう行動するべきなのか?を大人も子どもも(政府も市民も)一緒に考えなければいけない時代を迎えている、というのがわたしの考えです。
 
これからも「人権教育」(Human Rights Education)はわたしの研究&キャリアのテーマであり続けると思いますので、いろんなご意見やアドバイスをいただけたら幸いです。
人権教育に積極的に取り組まれている学校などあれば是非知りたいなぁなんて考えています(部落問題→同和教育の流れから、関西の方にそういう学校が多い気もします)。
 
長くなってしまいましたが、ここまで読んでくださった方、ありがとうございました!
未熟ながら、大学院生活後半も真摯に学んでいきます。
 
[photo by charlottelovey.blogspot.ca]

秋学期(9~12月)の授業&活動まとめ

 
秋学期の最終試験・エッセイ提出が無事に済んだので、10~12月に受けていた授業の内容などをちょこっとご紹介したいと思います。あくまでもこれはヨーク大学院のグローバル市民教育・修士課程(MA in Global and International Citizenship Education)2014-15年のケースで、大学・コースによってだいぶ異なることをご了承ください!
 
yorkuni
☆ヨーク大学のメインキャンパスです♪
 
■年間のプログラム概要
 
まず、MA(修士号)を取るためには年間で180単位取る必要があります。全員がこの単位数ピッタリのモジュールを取ることになっているので、実質ひとつも単位を落とすことができません。もしも「モジュール(120単位)は全部取れたけど修士論文(60単位)は書かなかった」という場合にはMAではなくthe Postgraduate Diploma(ディプロマ)を取得することになるようです(わたしはもちろん修士号を取ります)。
 
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■Autumn Term(秋学期:10~12月、10週)の週間スケジュール
 
↓1週間のわたしのスケジュール。実際は、授業時間が変更になったり、イレギュラーな予定が入ったり、友達と出かけたりする日もありますが、わかりやすく表にするとこんな感じです!
 
autumn schedule
 
黄色い部分が授業なのですが、「意外と少ないな」と思われるかもしれません(実際、わたしも最初はそう思いましたw)。でも、イギリスの大学院ではSelf study(自主学習)が重視されているので、授業の予習・復習(主に文献を読む)に多くの時間を割く必要があり、実際はそんなにヒマではありませんでした。
 
とはいえ、去年在籍していた先輩から「忙しすぎてバイトする余裕はないよ」と聞かされていたほどではないかな?と個人的には思います。時間管理がうまくできる・文献を速く読むことに苦手意識がない人であればどうにかなるかと!上の表では土日両方にバイトが入っていますが、週によってはシフトに入らないことも。平均すると、週に10~15時間働いていました。
 
わたしはあらかじめピンク色の時間帯は自習に充てる!と決めて、授業やバイトの後に図書館へ直行するようにしていました(まっすぐ自分の部屋に帰っても、だらけてしまうので・・・)。
 
みんなが一斉に取る「昼休み」や授業と授業の間の10分休憩というものはないので、隙間の時間に食事を取ったりキャンパス内のカフェで一息ついたりします。わたしの場合、金曜日だけは11~16時まで講義が詰まっていて、一つの授業が終わったらとりあえずクッキーを食べながら次への教室までダッシュ、というちょっと大変なスケジュールでした。
 
■Compulsory Modules(必修モジュール)
 
1. Research methods in education(リサーチ・メソッド)
・Credits(単位):20
・Assessment value(成績比重):12.5%
・授業形式:講義(週1・120分)
・評価方法:クリスマス休暇明けに試験(120分)
・内容:
 教育分野における調査・研究メソッドについて学びます。具体的には、リサーチデザインの組み立て方、インタビュー調査や観察調査の方法、SPSSを使った量的調査の分析など。the standard deviation(標準偏差)やChi-square test(カイ二乗テスト)など、日本で大学に通っていた時(5年前)に気まぐれで取っていた統計学の授業で習ったこともチラホラ出てくるのですが、理論的な話が多いので結構難しいです・・・。ちなみに昨年はクラスの3分の1が単位を落としたらしく、、ひゃあ~!
 
2. Citizenship education(シティズンシップ教育)
・Credits(単位):20
・Assessment value(成績比重):12.5%
・授業形式:講義(週1・120分)&セミナー(ゼミ)(隔週・60分)
・評価方法:クリスマス休暇明けにエッセイ(レポート)提出(4-5,000 words)
・内容:
 コースの核となるモジュール。わたしがヨーク大学を選んだ理由のひとつは、このモジュールを教えているIan Daviesという教授の存在です(日本にいる時から彼の論文をいくつか読んでいたので、ぜひ彼のもとで勉強したいと思っていたためです)。ここではアリストテレスの時代から始まり、「シティズン(Citizen)」という概念がこれまでどのように捉えられてきたのか、歴史的・理論的側面を中心に学びました。モジュールの名前は「シティズンシップ教育」だったので、イギリスにおける教育政策なども触れましたが、最初の学期ということもありシティズンシップの基本概念を理解することが主でした。
 
毎週、講義の前にプレゼン担当者が決められていて、その発表のあと講義に入ります。わたしはCommunitarianism(共同体主義)の回を担当しました(他の週のテーマは、Liberalism(自由主義)、European Citizenship(ヨーロッパにおけるシティズンシップ)など)。また、授業の一環でBootham Schoolというクエーカー系の独立学校へ授業見学に行く機会もありました。
 
最終エッセイのテーマは複数の中から選択でき、わたしが選んだのは「シティズンシップ教育に関するイングランドのナショナルカリキュラムと日本の学習指導要領の比較検討」について。選択モジュール(後述)のエッセイで人権教育に焦点を当てたので、こちらの課題でもそれを生かし、人権教育の観点から日英のシティズンシップ教育を批判的に考察しました。
 
■Optional Modules(選択モジュール)
 
3. Education and Social Justice(教育と社会正義
・Credits(単位):20
・Assessment value(成績比重):12.5%
・授業形式:講義(週1・120分)
・評価方法:クリスマス休暇明けにエッセイ提出(4-5,000 words)
・内容:
 モジュール名の通り、教育と社会正義、そして人権(Human rights)の関係について、主にa rights-based approach(権利ベースアプローチ:開発分野において、人権尊重の観点から取り組むアプローチ)の観点から学びます。テーマの例は、人権と言語・障がいと公平・多文化主義とマイノリティ文化・ジェンダー平等・人権教育など。
 
最終エッセイのテーマは複数の中から選択でき、わたしは「社会正義と人権尊重の促進は、教育者の役割か?」という問いを選びました。理論的には教育を通じて人権尊重を促進するべきという立場を取りますが、現実的には政府と被抑圧者たちとの間に政治的対立が起こった結果、学校における人権教育は非本質的なものになってしまう傾向がある(「権利を獲得する」ための政府⇔個人の関係、というよりは「人に優しくする」「差別しない」といった個人⇔個人の関係にばかり焦点が当てられる、など)ということを、日本の部落問題・同和教育を例に挙げて論じました。
 
☆追記
エッセイの内容の一部を、こちら↓↓の記事に書きました。ご参考まで。
【ブログ】日本の道徳教育を「人権」の観点から考えてみた
 
このエッセイを書く上で調べたこと、考えたことは、大学院生活後半、そして帰国後の進路を考えるうえでわたしの軸になりそう。大学院での研究の肝はセルフスタディー(自主学習)にあるんだなぁと実感しました。孤独な作業ですが、自分の考えがどんどん深まるので、わたしはペーパー試験よりもエッセイを書く方が好きです!
 
☆ちなみに上記3つのモジュールの成績は、Spring term(春学期)の7週目(2月中旬)に発表されます。
 
■その他(成績には入らないモジュール)
 
1. Departmental English(英語)
・授業形式:セミナー(120分)
・内容:
エッセイや論文を書くために必要なアカデミック・ライティングを学ぶための必修モジュール。わたしは夏にプリセッショナルコースを受講していたので、その復習のような感じ。以前ブログにも書いたのでご参考に→「プリセッショナルコースで学ぶアカデミック・ライティング」
成績に入るわけではないのですが、毎週何かしらの宿題が出されるのでちょっと大変でした。
 
2. International Conversation(インターナショナル英会話)
・授業形式:セミナー(120分)
・内容:
 必修ではなく、先着順に受けられる英語コースの一つ。同じタイプのコースだと、ビジネス英語やケンブリッジ英検のための授業も取れます(一部追加で授業料がかかりますが、このコースは無料)。大学院での英語の授業はライティング(書く)が中心なので、スピーキング(話す)授業も取りたいと思って選びました。
 
毎週、異なるテーマ(家族、文化、社会問題など)に沿って少人数で自由に会話するクラスだったのですが、(当たり前のことながら)皆ネイティヴスピーカーではないし、わたしみたいに「もっと話す機会を増やしたい」というよりは「英会話の自信をつけたい」という人の方が多く集まる場だったので、正直なところ、レベルはそんなに高くありませんでした。ただ、普段の学部の授業と比べると出身国も年齢層もバラバラだったので、新しい人に出会えるという意味では良い機会でした。
 
3. Classical Latin(古典ラテン語)
・授業形式:講義(週1・120分)
・内容:
 外国語の授業は主に学部生向け(無料・単位になる)ですが、枠に空きがあればわたしのような大学院生でも受講できます(全19週で£142・単位にならない)。「せっかく1年間イギリスの院にいるんだから、全く新しいことを勉強してみたいな~」ぐらいのノリで取ったラテン語、ほかのどの授業よりも苦労しています(涙)。大学生のときに第二外国語としてフランス語を4年間勉強していたのですが、その比にならないぐらいわけがわからない。でもせっかく始めたので5月まで全うします・・・!(頑張れわたし)
 
**********
 
わたしが秋学期に受けていた授業はざっとこんな感じです。「イギリスの大学院でどんなことを勉強するんだろう?」と興味のある方にとって参考になればうれしいです!成績が発表されたら、日本とは異なる評価方法などと併せて、また別記事にまとめますね(追記:こちらの記事をご覧ください→「秋学期の成績発表と、ひそかな野望について。」)。
 

カラフルな世界のどこかで、また。

 
クリスマスイブから年明けまで、ヨークを離れてロンドンに滞在。あっという間の10日間でした!
 
Tower Bridge

Tower Bridge seen from the Millennium Bridge, London

 
5年前にデンマーク・コペンハーゲンのDAN HOSTEL COPENHAGEN CITYというユースホステルで出会った、Sanita(サニータ)という女性の家に居候させてもらいました。
 
Five years ago
わたしがバックパッカー旅行をしていた時(当時、21歳・大学4年生)のブログが今でも残っているので、たまに読み返したりしています。
 
▼サニータと出会った日のこと。
http://ameblo.jp/mio-gullorbee/entry-10375988141.html
 
▼2人で観光し、別れた日のこと。
http://ameblo.jp/mio-gullorbee/entry-10376082228.html
 
思えばたった1日半、一緒に過ごしただけなのに、そのあとFacebookを通じて連絡を取り続けていたおかげで、今回5年ぶりに会うことができました!キングス・クロス駅で待ち合わせている間、ちょっとドキドキしちゃった。ハグした瞬間、いろんな思い出が溢れてきました。
 
***
 
わたしはバックパッカーで旅をしていた時、常に小さなノートを持ち歩いていて、出会った人たちに母国語でメッセージをもらいながらいろんな国を回っていました。
 
enbook_4
 
このノートブックはたくさんの「ご縁」が詰まっているわたしの宝物で、大学生活最後の冒険の証。実はこのブログのタイトルである【Enbook(エンブック】はそこから付けました。
 
もちろん、サニータに書いてもらったメッセージもちゃーんと残っています。
 
from Sanita
 
「これ、5年前に書いてくれたメッセージだよ!覚えてる?」
 
とサニータに見せたら、
 
「うわ!字が汚くて恥ずかしい!(笑)」
 
と言ったあとに、
 
「実はね、Mioがくれたメッセージも残してあるんだよ」
 
と、本棚の上から箱を取り出し、中に入っているカードを見せてくれました。
 
From Mio
 
「2人で行ったアートギャラリーでもらった紙にメッセージを書いて、サニータがシャワー浴びてる間にベッドに置いておいたんだよね!懐かしいね」
 
と言ったら、
 
「具体的に覚えてるんだね。若いから記憶力いいんだねきっと(笑)」
 
って驚いてました(全部ブログに残してあるからね^^)。
 
あの時は、他愛もない会話ばかりだったけれど、5年ぶりに会って、毎晩遅くまでいろんな話をしました。お互いの旅のこと、家族のこと、仕事のこと、パートナーシップのこと、将来のこと。一度、真剣に語りすぎてケンカにもなりかけました(笑)
 
サニータがコペンハーゲンへ行ったのは、別れたパートナーと話をしてきっちりと関係にピリオドを打つためだったのだそう。たしか当時は、「友だちの所に遊びに来た」とだけ言っていたっけ。
 
サニータはレズビアンなので、「初対面のMioに、パートナーが女性だと言ったらどんな反応されるかわからなかったから、具体的には話せなかったんだよね」と。いまだに、仲の良い友人しか知らないんだって(わざわざみんなに言う話でもないだろうし)。
 
わたしも今回再会して初めてサニータがレズビアンだと知ったんだけど、「あ、そうなんだ」ぐらいにしか思わなかった。でももし、わたしがたくさん旅していろんな価値観に触れていなかったら、もっと保守的な考えを持っていたかもしれないなぁ。。
 
***
 
サニータは現在39歳で、ロンドンで生まれ育った女性ですが、両親がインド出身(Ponjabi=ポンジャビ)なので、インド式の伝統的な家族行事は守っています。
 
インドでは、誰かが遠くに旅行する前にご飯と魚料理をみんなで食べてから送り出す習慣があるということで、クリスマスイブの夜にインドへ発つサニータのお父さんとお兄さんを親戚みんな(サニータは8人兄弟!)で見送ったあと、クリスマスパーティーにも混ぜてもらいました!
 
home party
 
すごく仲が良い家族で、サニータは今でも週に2〜3回お母さんの家を訪ねているそう。でもサニータは10代と20代前半の時、二度も親に望まない結婚を強いられ、その後耐えきれずに逃げ出した経験もあり、なかなか親子間の確執は消えなかったと話してくれました。
 
(サニータの他にも、旅先で出来た友だちは何人もいるけれど、みんな、一瞬の出会いではわからないいろんな過去を背負っていて、それを積み重ねた先のどこかでわたしと出会っているんだな、不思議な気持ち)
 
全く異なるルーツを持ち、それぞれ違う理由で旅をしていたわたしとサニータの人生は、5年前のコペンハーゲンで偶然、交差したわけで。ちょっとしたタイミングがズレていれば、きっと出会うことはなかった2人なのに、今回こうやってサニータの家のリビングでワインを飲みながら夜な夜な話す日が来るなんて。
 
***
 
会っていなかった5年間で、お互いの環境にも大きな変化がありました。
 
当時サニータはAge UKというNGOで働いていましたが、その後は写真の学校に通い、今はフリーのフォトグラファーになることを考えています。いま何となく考えているのは、ムスリムの結婚式写真の専門カメラマンとしてやっていくこと(ムスリムの女性は、女性にしか写真を撮られてはいけないという決まりがあるので、これまで知り合いづてに何度か依頼されて撮ったことがあるのだそう)。でもフリーランスでやっていくのはなかなか難しいと言っていました。
 
一方5年前のわたしは、就職活動を終え、大学生活最後の夏休みを利用して2ヶ月間、世界一周航空券でトルコからスタートしてアフリカ〜ヨーロッパ〜北米をぐるっと旅しているところでした。「就職したら、長期で海外に行けることはなくなるだろうから、今のうちに!」と日本を飛び出したのが懐かしい。
まだあの時は、赤十字に入社する前で、まさかその4年後に退職して、イギリスの大学院に留学することになるなんて考えてもみなかった。。
 
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***
 
わたしの人生は、この世に生まれた時から現在までくねくねと伸びている一本の道で、それは他のみんなの人生にも言えること。
自分自身の選択(と、目には見えない大きな力)によって伸びていく方向は変わっていく。
 
そして、いつどこで誰の人生とどんな風に交差するのか予想もつかない。道と道が交わった後、そのまま違う方向に伸びていって一生出会わない可能性もあれば、もしかしたら複数が合わさって太い道になり、共に伸びていくこともあるかもしれない。
 
それぞれが持っている色も違っていて、きっとそれは単色と言うよりもグラデーション。混ざった時にまた新しい色が生まれて・・・と考えたら、「世界中カラフルだなー!」ってワクワクする。
 
***
 
これが最後の長期海外旅行だと腹をくくって決行した5年前の一人旅では、どこの国でもユースホステルに泊まっていて、新しい部屋のドアを開けるたびに新しい出会いがあり、それと入れ違いで同室だった人との別れもありました。
「せっかく友だちになれたのにもう会えないんじゃないか」と思っていたから、”Good bye”を言うのが辛くて毎日泣いたり笑ったり忙しかった。サニータよりも早く宿を出たあの日もそうだったな。
 
でもわたしが生きているこの時代は、インターネットが発達して、飛行機も世界中を飛んでいて、ほんの少しの勇気(とお金と時間!)があれば、きっとまた会える。もちろんそれが可能なのは、恵まれた環境にいるからだということは忘れちゃいけないけれど。
 
だから今は、
”See you again somewhere in this small world!” (この小さな世界のどこかで、また会おうね!)
って笑顔で(でもちょっぴり涙目で)言えるようになった自分がいます^^
ちっぽけなわたしだけど、日本も含め世界中にカラフルな個性を持った友人がたくさんいることが何よりの誇りです。
 
これまで出会ってくださった皆さん、ありがとうございます。わたしには世界を丸ごと変える力はないけれど、少なくとも自分の道と交差した誰かの人生に新しい彩りを加え、ポジティヴな化学反応を生み出せる人でありたいです。
 
そしてまだ出会っていない、世界中の人へ。わたしは、自分の意思ではコントロールできない大きな力によって人生が導かれている、と何となく感じると同時に、「出会うべき人とは、然るべきタイミングで出会うことになっている」と信じています。うまく説明できないけれど、そんな気がする!お互いの人生が交差したときには、どうぞよろしくお願いします^^
 
***
 
さて、サニータのお陰でロンドンでの休暇を満喫したので、そろそろヨークでの大学院生活に戻ります。試験とエッセイ提出を終えたら、Spring term(春学期)がスタートします。
 
2015年も、たくさんの出会いと発見に満ち溢れた一年になりますように♬
今年もどうぞよろしくお願い致します!
 

2014年、多くの変化から学んだ5つのこと。

 
あっという間に2014年最後の日になってしまいました!休暇を利用してロンドンに遊びに来ていて、ここで友人たちと年越しを迎えようとしています。紅白歌合戦も年越しそばもない大晦日なんて、人生で初めてかも。
 
今年は、本当にいろんなことがありました。
3月末に、新卒で4年間働いた赤十字を退職し、
4~6月は国連広報センターでインターンとしてお世話になり、
7月からイギリス・ヨークでの留学生活がスタートしました。
 
こっちに来てすぐ、大泣きして大学のスタッフを困惑させたこともあったけれど、
8週間のプリセッショナルが終わり、修士課程に入る頃にはだいぶ生活も落ち着き、アルバイトを始める余裕も出てきました
秋学期の10週間はとにかく勉強・勉強・勉強!という毎日でしたが、たまには息抜きで友人たちと出かけたり、学内外のイベントに参加したり、楽しく過ごすことができました!
 
・・・とザッと振り返ると、スムーズに進んだ1年に聞こえてしまいますが、実際はそんなはずもなく、理想と現実の狭間で焦燥感に駆られることもあれば、急にプツッと集中力が切れてヤル気がなくなることもありました。
でも、変化に富んだ1年を過ごす中で、学んだこと、腑に落ちたこともたくさんあったので、来年に繋げるために綴ってみたいと思います。
 
2015newyear
photo by etsy.com
 
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■心と体の健康はつながっている
 
至極当たり前のことなのですが、ヨークに来てから実感したことのひとつが「心のストレスから解放されると体も健康になる」ということ。日本で働いていた時、もちろん仕事も職場の方々のことも大好きだったのですが、毎日の電車通勤、繁忙期の深夜残業、働きながらの留学準備、退職に関わる話し合い・・・などなど小さなストレスが積み重なり、肌荒れや肩こり、喘息の発症など体はあまり健康とは言えない状態がずっと続いていて、それによってまた気持ちが落ち込む・・・という悪循環を断ち切れずにいました。
 
大学院での勉強もそれなりにタフではあるものの、のどかなヨークでスローライフを送る中で、肌や体の調子がどんどん良くなってきました。キャンパスの中にある学生寮に住んでいるので満員の通勤電車とも無縁だし、毎日スニーカーを履いているので、ヒール靴にぎゅうぎゅう押し込められていた足の痛みもなくなり、それなりに規則正しい生活を送っています(日本にいた時は、疲れがたまりすぎて土曜日の朝にちゃんと起きられなかった)。クラスメイトが「読まなきゃいけない文献が多いし、勉強が忙しすぎてツライ・・・」と良く愚痴をこぼしたりしていますが、東京でのOL生活に比べたら大したことないよー、と心の中で思っています(笑)。
 
 
■まずはきちんと主張する。ダメなら気持ちを切り替える
 
大学院への出願の時点から薄々気付いてはいましたが、イギリス(もしくはヨーク?)は手続きが進むのが遅いwです。一度リクエストしただけでは何も返事がなかったり、「確認してみるね」と言われたあと何も音沙汰がなかったり。大学のスタッフも、店員も、自分たちの最低限の職務範囲を超えて何かをしてくれることはないので、本当に必要であればしつこく念押しするぐらいがちょうどいいです。
 
わたしは元々、「また文句言ったら迷惑かな・・・」とか、「うるさい客だと思われたらイヤだな・・・」とか考えがちだったのですが、主張する・されるのが当たり前だから、それで嫌われることはない、と学んでからは開き直って交渉をしています。でも、ただクレームを入れるだけでは効果がないので、いくつか気を付けていることがあります。
 
・要求の内容を最初に明確に伝える(困っている理由を長々言う前に)
・可能であれば、相手が譲歩しやすいように代替案を提示する
・強く主張はしつつ、できるだけ丁寧な言葉で締めくくる(対面であれば笑顔)
・リクエストを受けて相手が対応してくれたら、最大限の感謝の気持ちを伝える
 
たとえば、春学期のモジュール(授業)をオンラインで選ぶときに、早い者勝ちシステムだったのですが、予約開始の日時がたまたま自分が講義を受ける時間と重なってしまっているという問題がありました。わたしはどうしても選択したいモジュールがあったのに、それだと予約する前に席が埋まってしまう可能性があり、不公平だと思ったので、「予約開始日時をズラすか、もしくはメールで事前に選択したいモジュールを受け付けるなど、全ての学生に平等にチャンスが与えてください」と大学のスタッフにメールでリクエスト。大学側は一部の学生の講義時間と重なっていることに気付いていなかったらしく、その後「予約開始を1時間早めます」という変更アナウンスを全員にしてくれました。
 
とは言え、リクエストが通らなくて理不尽だ!と思うこともしばしば。そういう場合はもうどうしようもないので、諦めて気持ちを切り替えるしかないです(笑)。主張しないといけない場面ばかりなので、いちいち引きずっていたら生きていけない!
 
 
楽しむためにはそれなりの努力が必要
 
在籍しているヨーク大学の修士課程(教育学部・グローバル市民教育専攻)は、いつか勉強したいと思っていた場所であり、今でも選んでよかったと思っているコースなのですが、一つだけ残念だなぁと思っていることがあります。それは、「学生の8割が中国人」ということ。将来中国で英語の先生になりたい、という学生が多いようで、授業によっては私以外全員中国人、ということもあったりします。
 
彼女たちとは仲良くやっていますし、中国に対して嫌悪感があるという意味ではないのですが、「せっかくイギリスに来たのに中国人ばっかり・・・」という気持ちが、正直拭いきれません。渡英する前は「もし自分の英語力が足りなくて、ハイレベルな授業についていけなかったらどうしよう」という不安や、「でもそういう環境で鍛えられたい!」という期待があったのですが、蓋を開けてみたら、授業を受けるうえではほとんど苦労していません。むしろ、わたしがリードを取ることが多いので、物足りないなぁと感じることもしばしば。もちろん、勉強の内容そのものは奥が深く、まだまだ学ばなければいけないことがあるのですが、環境面ではあまり恵まれているとは言いがたい状況。
 
このジレンマ、夏に受けていたプリセッショナルコースでも感じていて、「楽しくないと感じるなら、不満をもらすよりもその状況を自分で変えるしかない」と気付いたので、今はできるだけ授業以外でも勉強会に参加したり、自分以外の全員がネイティヴスピーカーというカフェで働いたりと、付き合う人や所属するコミュニティを意識的に選び取るようにしています。それでもまだまだ物足りない(変な言い方ですが、もっと苦労する環境に身を置きたい)ので、春学期はより自分の興味に近いオフィスでインターンをしたり、より洗練されたスピーキングを学べるクラスを取りたいと考えています。
 
それなりのコストをかけて真剣にやっていることだからこそ、心から楽しみたい。でもその環境が最初から与えられていることは稀で、「なんか違うな」と感じたときに不平を言ったり、まぁこんなもんでいいかなと妥協することは簡単だけれど、自分の気持ちに嘘はつけないから、本当に楽しみたいなら環境自体を変えるしかない。留学に限らず、人生を楽しんでいる人って、傍目には気楽に見えたりするけれど、実は「楽しむための努力」をしているんだと思います。
 
 
■自分の問題と他人の問題を切り離して考える
 
同じ大学院に留学している学生とは言え、それぞれのモチベーションや熱意はバラバラ。そこまで勉強したかったわけじゃなかったけど、親に強く勧められたら来た、という子や、親が全てのお金を出してくれるから週末や休暇はとにかく旅行三昧、という子もいます。わたしは大好きだった職場を悩んで悩んで辞めて、自分の貯金全てをつぎ込んで留学していて、精神的にも経済的にも結構切羽詰まっているので、「修士号が取れるならそんなに成績は良くなくてもいい」みたいな考えの学生を見ると、この世の中はなんて不公平なんだ!と苛立つことも少なくないです(笑)。でも、他の人がどんな風に生きていようが、それはわたしの人生には関係ないことなんですよね。そういう人と一緒にいることが自分にとってプラスに働かないのであれば、前の項目でも書いたとおり、付き合う相手を変えるしかない。異なるバックグラウンドを持つ人たちと理解し合おうとすることはもちろん大切ですが、納得のいく結果を得るためには、「わたしはわたし、他人は他人」という意識も強く持つ必要があるようです。
 
また、日本にいる友人たちの近況報告をFacebookなどで見て、何となく焦ってしまいそうになることも。学生時代の友達の結婚とか出産は「おめでたいなぁ^^」と思うだけなのですが、自分が日本にいたときに一緒に活動していた同年代の人たちが起業したり、新しく事業を始めたり、イベントを成功させたりキャリアを積んでいるのを見ると、置いてきぼりをくらっているような気がしてしまうんですよね。みんな働き盛りなのに、わたし仕事辞めてまた学生やってて大丈夫なのか?と。もちろん、将来のこともいろいろ考えたうえでの決断なので、結局は「今はこれでいいんだ、焦る必要ない」という結論に落ち着くのですが、「今」という一点だけ見てしまうと遅れを取っているように見えてしまう。この一瞬一瞬を生きつつも、そこだけではなく、もっと遠くにある自分の姿も想像しながら、マイペースにやっていきたいと思います!
 
 
■選択の本当の意味は、後になってわかる
 
わたしのモットーというか、常に自分に言い聞かせていることは、以前ブログにも書いたとおり『正しい道を選ぶのではなく、選んだ道を正解にしていくこと』なのですが、イギリスに留学して大学院で勉強するようになってから、「あの時の選択は、ここに来るためだったのかもしれないなぁ」と思うことが本当に多く、それが前に進む勇気に繋がっています。
 
秋学期は「シティズンシップ教育(市民教育)」の基本的な概念や「教育を通じた社会正義の実現」などについて学んだのですが、その中で自分が教育を通じて追求していきたいのは「人権(Human rights)の尊重」なんだなと再確認できました(詳しくは別記事に書きたいと思っています)。大学生の時に、Save the ChildrenというNGOでユースボランティアをしていたときには「子どもに関わる活動がしたいな」程度の気持ちから入り、子どもの権利条約の啓発プロジェクトなどに携わることになったのですが、その出会いには意味があったんだなとあらためて思えたり。
 
また、小さいころからずーっと培われてきた勉強に対する姿勢も、今になって大きな助けになっています。わたしは昔から勉強が大好きで、受験勉強も全然苦にならないタイプだったのですが、塾講師のアルバイトをしていたときに生徒から「大人になってこの知識を全部使うわけじゃないのに、何でこんなにたくさん勉強しなきゃいけないの?」と聞かれた時にうまく答えられませんでした(わたしにとって、ただ楽しいから勉強していただけで、そこには理由は必要なかったので)。
 
でも、学校を卒業して、働いて、26歳で大学院生になった今、「学生時代の勉強って、その内容そのものが大切というよりも、本当に心から勉強したいことが見つかったときに、粘り強く勉強するための下地作りだったのかも」と思うようになりました。大学院では、特に課題提出の前は何十冊も文献を読み、10時間以上もパソコンに向かわないといけないので、もともと勉強の習慣がないと、結構キツイと思います。長時間勉強することに慣れているわたしですら、じっと座ってエッセイ(レポート)を書き続けことに疲れることもあるので・・・。でも、基本的には「ひたすら勉強し続けるこの感じ、懐かしいな~」ぐらいの気持ちで楽しくやれているのは、学生時代にクセを付けておいたおかげだな、と子どもの頃の自分(と、超厳しく勉強させてくれた両親)に感謝しています。あの努力は無駄じゃなかった!だからきっと、今の大学院での勉強も、いつかちゃんと役立つことがあるから焦らなくて大丈夫、と思うようにしています。
 
 
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2014年をちょっと振り返ろうと思っていただけだったのに、気付けばたくさん書いてしまいました・・・。それだけ、自分と向き合うことが多く、気持ちを整理する時間が必要だったということですね(文章にするとそういうことがわかるから面白いです^^)。
来年も、引き続き「変化」を楽しむ1年にしたいと思います。皆さんも良いお年をお迎えください♪
 

半日だけホームステイ♥一足早いクリスマス!

 
ヨークで勉強している留学生のために、i:Connect Cafeという集まりを主催してくれているプロテスタント系のボランティアグループがありまして。
先日、イギリスの伝統的なクリスマスを楽しむための半日ホームステイをコーディネートしてくれて、わたしはAnne(アン)とRos(ロズ)という姉妹にお世話になることに♪
(ここ2週間ほど、年明け提出のエッセイにかかりきりで、この日が来る前に何とか目途をつけようと必死に頑張りました!!)
 
“I am delighted that you are able to come to my home this coming Sunday. I will try to make it like a traditional Christmas Day.”
(「今度の日曜日に私の家にきてくれることを嬉しく思っています。伝統的なクリスマス・デーにするつもりよ」)
 
というメールを事前に受け取っていたので、ワクワク♪
日本だと、「クリスマス=恋人たちのためのイベント」みたいな雰囲気がなきにしもあらずだけど、イギリスではどんな風に過ごすんだろう?
 
当日、朝10時に大学の近くまでアンが車で迎えに来てくれて、まず向かったのはYork Evangelical Churchのクリスマス・キャロル・サービスへ。
 
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地元の方々による演奏でクリスマス・キャロル(”Angels from the realms of glory”など)を数曲歌ったり・・・
(わたしはキリスト教系の中学・高校に通っていたので、懐かしい歌ばかり!)
 
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子どもたちによる可愛すぎる聖書の物語劇を観たり・・・
(ルカの福音書15章:4~7節に「迷い出た羊のたとえ話」が出てくるのですが、いなくなった羊が見つかって飛び跳ねて喜ぶシーンが本当に愛くるしすぎた!きゅん)
 
クリスマスということで、イエス・キリストの誕生にまつわるメッセージを牧師さんから聞いたり。
 
☆ちなみにカトリックとプロテスタントは考え方が結構違う部分が多く、
たとえばカトリックにおける「神父」とプロテスタントの「牧師」はどちらも聖職者ではありますが、後者の場合は一般の信徒と立場は変わらない、という取っているので、服装がかなりラフです。
あとは、お祈りの最後にカトリック教徒は十字を切りますが、プロテスタント教徒は(基本的には)十字を切らなかったり。
わたしはカトリックの学校出身なので、「へぇー!」と思うことが良くあります。
 
・・・話が脱線してしまいました。
クリスマス・キャロル・サービスを1時間ほど楽しんだあとは、今度はロズの運転でアンの家へ!
 
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定番のターキーをはじめ、とても美味しそうなクリスマス料理を用意してくれていました~♥
 
ちなみに、パーティーの前には、クラッカーを鳴らすのがお決まり。
みんなで輪になり、腕をクロスして両隣の人とクラッカーを引っ張り合います(たまに不発)。
 
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(↑これは参考画像です)

 
クラッカーの中には薄い紙でできたクラウン(王冠)が入っているので、これをかぶりながら食事します。
 
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そして食後のデザートはドライフルーツがたくさん詰まったクリスマス・プディング。たくさんおかわりしちゃった!
 
せめてものお礼・・・で食器を洗わせてもらったあとは、紅茶を飲みながらのんびりおしゃべり。
アンは5年前まで高校で数学の先生をしていて、ロズは今でもセラピストとして働いています。
大学院にいると、地元の人たちと会える機会がそれほど多いわけではないので、うれしいな。
ちなみに2人は南ロンドン出身で、ヨークには25年ほど住んでいるそう。
 
ちょっと落ち着いたところで、ゲームの時間!
これ、どんな遊びだと思いますか?
豆腐?みたいに見えるのは小麦粉で、上に載っているのがコインです。
 
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日本で言う「山崩し」の要領で、順番にナイフで山を切っていき、コインを落としてしまった人が負け、というルール。
負けた人は、小麦粉の中から口(くち)でコインを取り出さなければいけませんw
(なんかそういうの、小学校の障害物競争でやった気がする)
2周ほどしたところで、私のすぐ前にいた子が山を崩してしまいました。セーフ!
 
ほかにも、”Zoom screech”(もしくは”Screech zoom”とも言うみたい)というゲームをやったり。
(円になって、順番に”Zoom!”(向きを変える時は”Screech!”)と言い、間違えた人から抜けていく、という超単純な遊びなのですが、久しくこういうゲームをしていなかったわたしには難しすぎた)
 
そしてなんと最後には、靴下いっぱいに詰められたクリスマスプレゼントまで!!感激。
 
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もう片方の靴下も、ちゃんと中に入っていました^^初めて会うわたしたちにここまで親切にしてくれるなんて、なんていい人たちなんだろう・・・。
 
アンとロズには朝から夕方まで本当に楽しませてもらいました!お家も素敵だったなぁ。
 
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ザンビア出身のTwivwe、香港出身のKoom、中国本土出身のNancy, Ching, Sharonとお邪魔しました☆
 
普段は大学のキャンパス内にある学生寮に住んでいるわたしですが、
ちょこっとホームステイ!の気分を味わえた素敵な一日でした♥
 
ちなみに、イギリスの人々(に限らずキリスト教徒のほとんど)にとってクリスマスは、教会へ行き、家族と家でゆっくり過ごしてイエス・キリストの誕生を祝う大切な日。アンとロズも当日は、親戚がたくさん集まる予定だとか。
わたしは、今年のクリスマスはロンドンで友人と過ごすことになっているので、そちらも楽しみです^^
 

「彼氏(彼女)いるの?」という言葉にひそむ「生きづらさ」

 
昨日、こちらの記事を読みました。
 
▼セクシュアル・マイノリティーと引きこもり 異性愛前提の社会に生きづらさを感じる人たち|「引きこもり」するオトナたち|ダイヤモンド・オンライン
http://diamond.jp/articles/-/63541
 
「性別欄に“自身の性別とされているもの”が表記されなければならない社会」=「異性愛が前提になる社会」に生きづらさを感じる・・・という「セクシュアル・マイノリティー」の当事者の声が取り上げられています。
 
※「セクシュアル・マイノリティー」=「性的少数者」という表現は好ましくないとする意見もあるため、この記事ではLGBT(L=レズビアン、G=ゲイ、B=バイセクシュアル、T=トランスジェンダーの頭文字)という言葉を使います。興味のある方は、下記サイトをご参考に!
 
▼NHKオンライン | 虹色 – LGBT特設サイト
http://www.nhk.or.jp/heart-net/lgbt/index.html
 
※最近ではLGBTQという言葉が使われることもあります。「Q」は「Queer」 (もともとは「変わり者」。セクシャリティの文脈では「個性的」という意味で使う人もいます)もしくは「Questioning」(不明)。
 
rainbow-flag

photo by donv.org

 
わたしは今、英国・イングランドに留学していますが、会員登録などの際に自分の性別を記入する欄を見ると、「男性/女性」の二択だけでなく「どちらにも当てはまらない」「明言したくない」などの選択肢が用意されていることが多いです。
「そんな些細なこと…」と言う人もいるかもしれませんが、そういうちょっとした配慮があるだけで生きやすくなる人もいるだろうな、と上の記事を読んであらためて思いました。
 
【追記】Google+のユーザー基本情報において、性別を‘明言しない’(decline to state)など自由にカスタムできるようになったそう。Googleは、以前からLGBTに対して強い理解を示している企業ですね。
 
▼Google+でもジェンダーの表現が自由になった…Facebookよりも大幅に自由 – TechCrunch
http://jp.techcrunch.com/2014/12/11/20141210google-plus-custom-gender-identification/
 
個人的な感覚ですが、日本と比べるとイギリスの方が自分が同性愛者であることを公言している人が多い印象を受けます。駅など公共の場で、男性同士がキスしている光景も珍しくありません(そして特にそれを不思議がる人もあまり見かけません)。
 
ちなみに英国における同性婚を認める法律の成立状況は下記のとおり(いくつか追記しました)。
 
☆イングランドとウェールズ:2013年7月に可決、2014年3月に施行。
→参考記事:Same-sex marriage becomes law in England and Wales – BBC News (17 July 2013)
 
☆スコットランド:2014年2月に可決、2014年12月に施行。
→参考記事:Gay marriage law comes into effect in Scotland – BBC News (16 December 2014)
 
☆北部アイルランド:同性婚は法律で認められていません(2011年~シビル・パートナーシップ制度を導入)。2014年5月、アイルランドで同性婚解禁に向けた憲法改正の是非を問う国民投票が行われます。
→参考記事:Same-sex Marriage Referendum – The Irish Times
 
少しずつ社会的に認められてきている同性婚ですが、宗教などを理由に反対の立場を取る人もいます。今年10月にバチカンで行われた「世界代表司教会議」(シノド: カトリックの枢機卿や司教らによる集会)では、フランシス法王による同性愛への歩み寄りの姿勢に注目が集まりました。中間報告では、
 
Homosexuals have gifts and qualities to offer to the Christian community(同性愛者はキリスト教コミュニティーに貢献する才能と資質を持っている)
“accept and value” homosexuals(同性愛者を受け入れ、価値を認める)
 
との文言が盛り込まれましたが、保守派の反対が根強く、報告書の承認に必要な3分の2の同意を得られなかったため、最終報告では、
 
men and women with homosexual tendencies should be accepted with respect and sensitivity(同性愛の傾向を持つ男女は、敬意と配慮を持って受け入れられるべき
Any sign of unjust discrimination in their regard is to be avoided(同性愛者に対するいかなる不正義な差別も避けられるべき)
 
と記されるにとどまりました(司教会議は1年後にまた開催され、最終決定が下される予定です)。
 
▼BBC News – Catholic synod: Gay rights groups ‘disappointed’
http://www.bbc.co.uk/news/world-europe-29678751
 
・・・話が広がってしまいましたが、イギリスで市民(シティズンシップ)教育、特に人権教育について勉強しているわたしにとって、LGBTは今後日本でも理解が進むべきテーマだと思わずにはいられません。身近に当事者がいないとなかなか意識しづらいことかもしれませんが、実は日本でも20人に1人はLGBTと自認する人がいるという調査結果(※)があり、割合だけで言えば学校のクラスの中に1~2人はLGBTの生徒がいると考えることもできます。
※電通総研LGBT調査2012(http://dii.dentsu.jp/project/other/pdf/120701.pdf
 
セクシュアリティに限らず、ますます多様化が進む中で、「生きづらさ」を取り払ってみんなが社会参加できるよう、制度面でも整えていかなければいけない課題がたくさんあります。でもまずは、一人ひとりの意識を少しずつ変えていく必要があると思います。たとえば、小さなことですが、ゲイを公言している知人が「彼女いるの?」ではなくて「恋人(パートナー)はいるの?」という聞かれ方をされると答えやすい(※)と言っていたので、私も(相手の状況を知らない場合は)そのような表現を使うように心がけています。また、教育を通して子どもの頃から「人権」について考える機会を増やしていくべきだとも思います(人権教育については、また別途記事を書きたいと思っています)。
 
※この記事を読んでくださった方から、「英語ではどんな風に聞けばいいの?」とご質問をいただきました☆
ネイティブの友人にも確認を取ってみたところ、“Are you seeing someone?”“Do you have a partner?”といった表現がニュートラルだそうです。でも「(イギリスだと)たとえ質問の仕方が正しくなくても『girlfriendじゃなくてboyfriendがいるんだ』って普通に訂正して答える人も多いし、失礼にあたるかどうかそんなに気にしなくてもいいかも?」とのこと。個人差はあると思いますが、日本よりもオープンなのでしょうね!
 
私がこれまでいろんな国を旅し、多くの人に出会い、そしていま留学に来ている中で感じるのは、「自分が思っている以上にいろいろな生き方がある」ということ。中には、「価値観が違いすぎる・・・」と思うこともありますが、無理に合わせる必要はないと思っています。「そういう人生もあるんだなぁ」と受け止め、素敵だなと思ったところは吸収する。100%理解できなくても、相手に対して敬意を払う。違いをきっかけに自分の生き方を考えたり、たまに似ているところを見つけて笑い合えたら楽しい。
 
あ、でも海外で共同生活をしているとたまに本当にイラッとすることもありますが、ここでは省略させていただきます(笑)。